前へ進め、お前にはそのがある

>断ち切れ -act03-







朔の店で働いているはここ最近、夕方になる前に帰されていた。
理由は、ここ最近巷を騒がせている辻斬りがこの近くにも出るからである。
元々朔は店を遅くても六時には締めてしまう為に、最初でこそは大丈夫だといっていたのだが、意外と朔も頑固である。
何かあってからでは遅いと、けして首を縦に振りはしなかった。結局最後にはが折れることになる。
朔の言う事にも一理あるし何より今のは無理をするわけにも行かなかった。

神楽が少しでも苦しくはないと投げ捨てようとした時計。今は皆が持っているがいつのまにかの懐に戻ってきてしまう。
どんなタイミングなのか、それがまったくわからない為にいつまた、あんな状態に陥るか。
予測すらできない状態では対処のしようもなく、それなら避けられる危険は避けた方が良い。
裏路地はあれ以来、近づかないよう気をつけていた。あの時はたまたま土方が通りがかったからよかっただけだ。
いつのまにか懐に戻ってくる時計にも、気味の悪さは拭え無いがいままでのように動揺する事はなくなってきた。
動揺してしまえばまた、悪循環の渦の中に感情が飲まれてしまう。これまでは三人が居たからこそ、立ち直れたからであって一人ではきっと無理だ。
つまり、いままではたまたま運がよかったというだけである。
いつだって誰かが側にいて護ってくれるわけじゃない。時には一人で、自分の身を護らなきゃいけない時だってある。
それを忘れないようには日々を過ごすようにしていた。







「おはようございます! って、朔さん? 何か、顔赤くないですか?」

「おはようさん。大丈夫よ、見た目と違って体はなんともないの」

「そうですか・・・。でも、無理はしないで下さいね」



朝のいつもの時間に店に行けば店の前の道を竹箒で掃いている朔を見つけ、挨拶をすればその様子は少しおかしかった。
少しだけ頬が赤く火照っているように見えるが、本人はいたって普通に振舞う。
大丈夫と言われてしまえばそれ以上何も言う事は出来ず、も雑巾を取り出して窓や椅子などを拭きはじめた。



客も少なくなってきた夕方近く。ここ最近では四時を過ぎたあたりから人の出入りが少なくなっているのも辻斬りの影響だろう。
もう客もこないだろうと空いている席を乾拭きしていれば、店内で電話が鳴り響いているのに気付く。
いつもなら朔は店内で団子の用意をしている為、鳴り出してすぐに取りに行くと言うのにその時はまったくその気配が感じられない。
おかしいと思いながら店内へ入り、電話を取ろうとしたが受話器を取る直前に切れてしまう。
重要な電話ならまたすぐに掛かってくるだろうとは朔が居るであろう調理場へ行こうとした。
その手前の所に、お汁粉用のおわんがいくつか転がっているのに気付き拾おうとしゃがんだ時である。




そのすぐ近くで朔が倒れていた。









「朔さんっ!!」








駆け寄って声をかけるが返事はなく、今朝気付いた時よりも顔は赤くなり呼吸も荒い。
倒れた拍子に頭を打っていないかとも気にはなったが、なにより早く病院へ連れていかねばならなかった。
表の席に客が一人、幸い男性が居たはずである。その人に手伝って貰えれば病院へ連れていけると表へ急いだが
その男性は代金だけ置いて既にそこに姿はなかった。
ならば病院へ電話だと、すぐに店内へ戻ろうとしたへ、初老の男性が声をかけてきた。



「あぁ、お嬢さん。すいませんが朔さんは居られるかな?」

「え、あ、います、けどっ、でも、大変で! あのっ!!」



慌てすぎているせいかの言葉は意味を伝えるには不十分過ぎる。
男性はの肩に手を置いて落ち着いてと、少し慌てすぎて乱れた呼吸を整えるように促す。
浮いたような感覚の脳みそが漸くしっかり働き始め、は男性へ朔が倒れてしまった事を伝えればどうやら男性は朔の知り合いの医者らしい。
なんとタイミングがいい事だと思う間もなく、男性はすぐに朔の容態を診に行った。
奥の朔の寝室へと運び、布団を敷いて横にすれば男性は手際良く朔の診察を続ける。
その間には朔がこうなってしまっては店を開いているわけにもいかないと、早々に店を閉め始めた。
一通り店仕舞いを終えれば男性の所へと急ぎ向かう。倒れていた時のような苦しそうな様子はなく、今は静かに眠っているように見える朔に安心した
朔は大丈夫なのかと聞くとどうやら過労と風邪が重なった所為だという。
ゆっくりと安静にしていれば問題は無いからと、常に持ち歩いているのか、薬をへ渡すと後日改めて医者に診せた方が良いと部屋を出ようとした。



「あの、ありがとうございます。本当に助かりました。
 それと、今更ながらで失礼ですがあなたは?」

「ああ、申し遅れました。私、しがない町医者をしておりました遊染と申します。
 朔さんには以前、少々お付き合いがありまして。このたび江戸に参りましたのでご挨拶をと思って来たのですが。
 ですが、それはまた今度に致しましょう」

「私はここでバイトさせて貰っていますといいます。今度は是非、朔さんのお団子を食べに来て下さいね」

「ええ、そうさせて頂きます」



懐から名刺を取り出すとそれを受取り挨拶を交わして、遊染は店を後にした。
は朔がこんな状態では帰るわけにもいかないと、電話を借りる事にして万事屋へと今日は帰れないと伝えようとした。
しかし電話はいくら鳴らせど誰も出はしない。もしかしたら仕事が入って居ないのか。
お登勢の店へもかけようかとも一瞬思ったが、夜の仕事であるため今は準備中で忙しいだろう。
また後でかければいいと、調理場へ行き今日使った道具の後片付けなどをしに行った。
祭の準備などで何度か手伝った程度だが、それでも覚えていないわけではない。
一通り片付けてみれば、あとは臨時休業の札を表に貼り付けて漸く仕事の一つが終わる。

次にがやり始めたのは朔が起きた時に食べるためのおかゆ作りである。
しかし実は。おかゆは初挑戦だった。とりあえず水とお米を混ぜて暖めれば何とかなるだろうかと、少々おっかなびっくりといった状態で
おかゆを作り始めたは良いものの、出来上がったものを見て果たしてそれをおかゆと称して良いのかどうか。
初めて作ったにとっては判断できる基準が、自分の記憶上のおかゆの姿だけである為難しかった。

寝室へ行けばちょうど朔が目を覚まし体を起こした所。一体何が起こったのか目が覚めたばかりの朔は理解できていない。
は倒れた事や遊染の事を伝えれば、迷惑をかけてしまったと苦笑をもらす。



「いつも無理をしちゃ駄目って、さんに言ってるのに。私が倒れちゃ意味が無いわね」

「そんな事ありませんよ。大事に至らなくて良かったです。でも、今度から気をつけて下さいね」

「ええ、気をつけるわ。だから、さんも無理はしないでね」



おかゆを食べて薬を飲んだ朔はまたすぐに横になる。
は今日は泊まらせて貰ってもいいかと聞けば、客室が一応あるからそこを使って構わないと返ってくる。
食器を洗い、暫くの間朔の傍らに居ただが、いい加減時間も遅くなってきた。
飲んだ薬が良く効いているのか、朔も静かに眠っている。その様子に一安心したは、一度朔の額に手を当てれば少し熱い位だった。
顔の火照りもそう酷いものではない事を確認して、静かに立ち上がると朔が起きないよう気をつけながら部屋を出る。


客室へ向かう途中、は店先へと足を向け電話を手に取る。
少しだけ、嫌な予感が胸を過ぎったがそれを振り払うかのように首を横に振ると
もう一度万事屋へ電話してみたがやはり誰も出る事はなかった。





<<Ex05-02 /BACK /TOP/ NEXT>>