それはとても小さな
>06:早弁
今日も今日とて朝寝坊をしたは一時間目が終ろうとしている所で、既に腹の虫の合奏に悩まされていた。
ここ最近は布団から出たくない気候が続く為、寝坊をしている。
しかしそれでも朝食をとってから家を出るおかげでさらに遅刻する事にはなっていたが、空腹に悩まされる事はなかった。
ならば何故、空腹に悩まされているのかと言うと、今朝は最悪な事に母親がいなかったのだ。
それもそのはず。先日から友人と二泊三日の温泉旅行に出かけてしまった。
娘をほうり出して何たる母親だとは思わない。毎日家事をしてくれているのだから、たまには羽を伸ばして休んでもいいだろう。
なにより夜遅くまで起きていようと怒られる心配がないのが何よりの理由だったが。
だが朝起こしてくれているのも母親だった。所詮、目覚ましなどあって無いようなもの。
起きてから朝食を作って家を出ている暇などなかった。弁当だけは昨日に仕込んでおいたのは幸いだった。
こう言う時に限って、パンなど手軽なものすらないのだから何かの陰謀かとも思ってしまう。
朝食を取らなかった分、寝坊と言ってもホームルームに間に合わなかったぐらいなのでまだセーフだっただろう。
いつもならば一時間目の途中辺りで登校しているのだから。
漸く一時間目終了の鐘が鳴った。
号令も終えて教師も教室から出て行けば、の口から漏れたのは深い溜息。
同時に押さえ込んでいた分、腹の虫が更なる食事の要求音を奏でた。
「どうしたの? 随分と辛そうだけど・・・」
「辛い? 辛いさ。辛いに決まってるじゃないか。今なら私、この机すら食べても大丈夫な気がする」
「いやいや、ダメだよ! えーと、じゃあ・・・これ、食べる? 気休めだけど」
「オオウ! ありがとう山崎、流石だ山崎君。気遣いの山崎様万歳! キャッホイ!」
差し出された飴を受取ると早速包装から取り出し口へ放り込んだ。
口の中に広がる甘い味が沈んでいた気分を少しだけ和らげる。しかし付け焼刃にすらならない、本当に気休めだ。
山崎から貰った飴など、授業の始まる頃には殆ど噛み砕かれていた。
二時間目が始まった今ではすっかりと空腹に苦しんで唸り声を上げそうになっている。
一つは悩んでいる事があった。
今の空腹を紛らわすには早弁しかない。しかしそれをしてしまえば昼ご飯がなくなる。
生憎と節約生活を強いているために、財布の中にはお金が入っていない。
母親が旅行中何かあったらと、いつもよりも多めにお小遣いを渡してきたが、もちろんそれはあまり使うつもりなどなかった。
こんなにもらえることはたぶんこの先、一体何度あるだろうかと思える額だ。特に学生というのはお金はあまり入らないくせに支出は多いときたもんだ。
ここで懐をなんとか温かくしておかねばと、貯金箱へと投入してしまった。
チラと隣の席の沖田を見る。
視線に気付いた沖田もへ視線を向ければ小声で何だと聞いてくるが、正直は答えるか否か悩んでいた。
沖田にお金を借りれば今後、どんな目に合わされるかわからない。
しかし山崎は先日ラケットが壊れたから近々新しいのを買うと言っていたため、頼むわけにはいかない。
新八もお通ちゃんのアルバムが出るからと楽しみにしているのを知っている。
土方は財布自体を持ってきていないらしい。沖田からの嫌がらせ回避の為だろう。先日財布になにやら仕込まれたとか言っていた。
ならば女子はどうだろうかと思ったがお妙はまず却下だ。お金の貸し借りは絶対しない。
神楽もお金はそうは持っていないし、阿音はバイトをしたりしている分、お金の執着は半端ない。百音のお金の管理も阿音がしている。
クラスメイトの誰からかお金を借りようと必死になっているが、誰も彼もがなにやら問題を抱えている。
流石はこのクラスの人間である。一筋縄じゃ行かない。
悩むを見ていた沖田はどうやら何に困っているのか気付いたのだろう、教師が背を向けた所でやたらと嫌な笑みを浮かべた。
「、そんなにお金を貸して欲しいなら俺が貸してやろうか?」
「いや、いいです。いらないです。総悟から借りたらなんか・・・ねぇ?」
「なんでェ、人の親切を無碍に断るのか。いい度胸してるじゃねぇか。それじゃ、の弁当がどんな目にあってもいいっていうんだな」
「なんで!? 何でそこで私の弁当が危機にさらされなきゃいけないの!?
「大丈夫でさァ。無駄にはしませんって。ちょいとアイツにの弁当をあげるだけだから」
飽くまで小声で話すふたりだが、油断をすればは大声を上げてしまいそうになる。
沖田が楽しげに指を差したのは神楽。渡したが最後、弁当の隅から隅まで、それはもうご飯粒一つ残らないだろう。
それでは朝どころか昼ご飯もありつけない状態になってしまう。
しかも最悪な事に午後の授業二時間みっちり体育だ。さらに言うなら今日は持久走だった気がする。
間違いなくは逝ってしまうだろう。
「・・・お金貸してください・・・」
「最初から素直にそう言っておけばよかったのにな」
「くっ!」
あまりにも勝ちこった、加えてSな表情を浮かべている沖田に悔しいが反論ができない。
こうなれば自棄食いだとばかりに鞄からお弁当を取り出すと包みを開けて小さく頂きますと手をつき食べ始める。
一口目がまさに至福のときだった。
は目を細めて堪能していると教師から注意を受ける。
「こら、なに堂々と早弁してんだ? なんか怒るのもめんどいから言わねぇけど、やるならもっと隠れてそれらしく早弁しろよ」
「それなら神楽ちゃんだって堂々としてますよ。それに先生、お腹が減っては授業が受けられません!」
「なんかそれ前にも言ってたよな? 前にも言ってたよそれ?」
「まあつまり私にとって別に早弁はとるに足らぬ事ということですよ、先生」
「なんかむかつくんですけど。非常に腹立たしいんですけど」
そういう先生も飴を舐めてるじゃないですかと指し示せば自分はいいんだと、何とも身勝手極まりない返答。
背後から新八の深い溜息が聞こえた気がするが、それらも全て口に放り込んだニンジンを飲みこむのと同時に忘れる事にした。
結局昼ご飯は沖田からお金を借りる事になったが、暫くの間馬車馬の如くいいようにこき使われたのは言うまでもない。
<<BACK /TOP/ NEXT>>