灰愛色 -はい いろ-
>意味 -act 03-
薄く目を開けたは数度瞬きをすると、漸く視界のぼやけが治まった。
しかしそれでも横になった状態から見える場所は、明り取り用の小さい窓からの薄い光だけで照らされている為
はっきりとした場所の特定ができなかった。
体を起こそうとしたが手は何かで後ろ手に拘束されている。
全身に力を入れて起き上がるしかないが、腹部に力を込めた瞬間鈍い痛みと共に咳き込んでしまう。
そのあと感じたのは首裏の痛みと熱。強く打たれたのだろう。熱を持っているらしい。
何度か体を起こそうと力を入れる個所を変えようと試みたが、どれも上手くいかず全身の痛みと気だるさだけが増していった。
「っ!」
突然背後に気配を感じたが、振り返る前に鼻先へ突き立てられたのは刀の鞘。
すぐ後ろでジャリッという音が聞こえた。
微かに香った独特な香りが鼻をくすぐる。それは路地裏でを拘束していた男からも香ったものだ。
体を横たえたまま視線だけを男へ向ければ、刀を付き立てる男は逆光でも分かるほどの楽しげな笑みを浮かべている。
「・・・高杉」
「よォ。気分はどうだい?」
「最高ね。アンタを捕まえるチャンスが巡ってきたんだから」
「ハッ。口の減らねェ姫さんだぜ」
強がりでしかないだろう。しかし強がっていなければ体が震えだしそうだった。向けられる殺気は、先日の比では無い。
そもそもなぜ、高杉が自分を捕らえたのか。まさか自分を盾にして真選組をどうこうしようなどと、そのような事は考えていないだろう。
やるならもっとはっきりとわかりやすく、派手なやり方をするはずだ。今までの高杉のやってきた事などを考えればそう思うのも無理は無い。
「一体、何が目的だ」
「そう構えなさんな。大した理由じゃねェ。ただ、テメェの中の獣が気になってな」
訝しげな視線を向けるへ嘲笑にも似た笑みを浮かべると、突き立てられた刀をゆっくりと腰へと戻す。
だが向けられる殺気は和らぐどころか鋭くなった。
まるで抜き身の刀を喉元に突きつけられているかのような錯覚にゴクリと喉が鳴る。
緊張を含んだ空気はピンと張り詰め、唇を強く引き結び歯を食いしばると空気に飲まれぬよう、目を見開いて更に睨みつけた。
暫しの睨み合いが続いたが、突然それは終りを告げる。
「テメーは、護りてェからアイツらの所にいるっつったな」
「・・・それがどうした」
「なに。随分と大層な理由を盾にしてやがると思ってな」
「なんだと?」
高杉が言わんとしている事が何一つわからない。
しかしその一言で強く睨み据えていたの視線は、困惑の色を交えはじめた。
「本当は疼く獣の暴れる場所が欲しかっただけだろう? その刀を振るうのに、言い訳できる場所が欲しかっただけだ。
もっともらしい言葉を並べ立ててはいるが、ようは隠れ蓑ってやつだな」
「黙れ! そんな理由であの場所に居るわけじゃない!」
拘束され身動きのとり辛い体は、さらに煽られた怒りで起き上がらせる事ができない。
高杉から向けられる言葉にの中で沸々と湧き上がる黒い感情が、まるで中身を飲みこんでいくかのようだった。
漸く体を反転させ高杉を正面へ捉える事は出来たが、突然腹部に重い何かが圧し掛かる。
強く踏みしめられたと理解するまでに数秒を要した。息を詰まらせ咳き込むの姿を高杉は面白そうに笑いながら見下してくる。
「テメーは俺と一緒だ。疼く黒い獣に血が滾る。刀を握れば神経が昂ぶる。
血を浴びて、肉を切り裂き、敵を蹴散らして血に染まった道を歩く」
「っ、お、前と・・・一緒、だとっ・・・っ・・・ふざけるな!」
「ちったァ、テメーの中の獣の呻きにも耳を傾けてやれよ。そら。暴れたりねェって、鳴いてるだろ?」
「だ・・・れ、・・・だま、れ・・・・・黙れ! 黙れ!!」
それは、高杉に対してなのか。内に聞こえてきた何かの声に対してなのか。叫びつづけるを見下す高杉は目を細め、柄に手をかけた。
鞘からゆっくりと引き抜かれた刀が、月明かりの逆光に照らされて妖しく光る。
素早く持ち手を逆手に変えると、の顔のすぐ横へと突き立てた。
鈍く高い音が長く、細く響く。切っ先が地面へと傷をつける。切っ先が触れた耳がすこしだけ切れた。
「テメーの中の狂気に気付けば、もっとイイ女になるぜ? なあ、戦姫」
「・・・・っ」
腹部に乗せた足をどけ刀を鞘に仕舞うと、の横を通りすぎ出口へと向かう高杉。
早鳴る動悸に短く繰り返す呼吸を整える間もなく、は口を強く引き結んで虚空を睨んだ。
歯を食いしばって強く息を吸い込むと、あらん限りの怒りを乗せて高杉の名を叫べばその足は止まる。
「狂気だろうが獣だろうが、食らいつくのはアンタの喉元だ!!」
「できるものならな。何時でも待ってるぜ?」
後に残ったのは高杉の低い笑いと、の怒号だけだった。
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