灰愛色 -はい いろ-
>誇り -act 05-
月が笑う夜。
薄暗い天人の建物が立ち並ぶ静かな江戸の町の一角で、は息を殺し身を潜めていた。
辺りの様子を窺えば今だ何一つ、動きも変化も無い。
冷たい風は微かに吹き街路樹は葉を鳴らす。の視線の先には天人の大使館を囲う長い塀。
捕らえた浪士から得た高杉の計画。だが実際は今回のテロ全てが高杉一派の手による計画と言うには、多少の語弊がある。
元々は大使館の一つに爆弾を仕掛けるというだけの、高杉がするにしてはあまりにも捻りの無いテロ。
今まで高杉がしてきた事を考えれば、そう感じるのも仕方がない。
今回ここまで大きくなってしまった理由は、他の過激派攘夷浪士達が高杉の行動に刺激を受けたのか、はたまた高杉の手によって煽られたのか。
どちらにせよ刺激された浪士達がそれぞれに動き、今の形へと変化してしまった。
もう一つ。そこまでなってしまった要因としてあげるならば今の真選組と攘夷の立場にあるかもしれない。
ここ最近は警備も強化されまさにトカゲの尻尾切りに似た攻防。
それに煮え切らない思いを抱いていた所に高杉の小さな動き。それは小さな火種だが、他の浪士達を突き動かすには充分過ぎる。
あらゆる意味で言えばこれは高杉が他の浪士達をも利用した大規模なテロだともいえなくも無い。
同じ攘夷を掲げていると言うのに、束ねるものが違えば互いに利用し利用されの関係がこうも簡単に出来上がる。
それ故、今回はあまりの規模の大きさに真選組だけでは押さえきれないと判断し、松平の力も借りる事となった。
あらゆる場所に点在する大使館とターミナル。松平自身はターミナルの方へ行っているらしい。
狙われている大使館の中では「地球人風情に」などといって、自分たちで警護するものもいる。
それならそれで大いに構わなかった。何せ人が足りないのだ。自分達で何とかできるなら、そうしてもらって損は無い。
真選組は二箇所へ配置されたが、そのどちらも高杉の息のかかった者達だという話である。
ただこの作戦を立てた際に、一つの疑問が浮かび上がった。
仲間が捕まった時点で、情報の漏洩などで作戦を変えてくるかもしれないというもの。それに対し、監察からそれは無いと答えが返ってきた。
むしろ今から作戦を変えた所で穴が生じる。そもそもこれは高杉一派だけの作戦ではないのだ。
無理に押し通そうが通すまいが、元より統率などあって無いもの。
ならば今回のテロには一体何の意味があるのか。他の何かあるのだろうか。
例えば、こちらの目を何かから背けさせる為のテロである可能性もある。
どんな理由がその裏に隠れているのかわからないが、今回は大きな捕り物となる事は予想するまでも無い。
鍛治屋に愛刀を預けたは借りた刀にそっと手を伸ばす。もしかしたら今日でこれは使い物にならなくなるかもしれない。
そっと心内だけで鍛冶屋の主人へ詫びの言葉を呟いた。
「・・・っ!」
の思考はそこで止まった。
大使館前に一人の浪士がフラリと姿を見せた。その動きは辺りの様子を窺い、どこかおかしい。
気配を殺し背後を取り声をかければ、振り返った男は突然刀を抜き斬りかかってきた。
後ろに飛び退きそれを避けたが更に踏み込んで間合いを詰めてくる。
抜刀し振り下ろされる男の攻撃を受け止めるが、原田よりも体格のいい男の剣戟は重く、は歯を食いしばって耐えた。
横へと弾くと一度体を回転させ懐に蹴りを入れれば男は低く呻き声を発する。
よろめいた所では逆袈裟に切上げると男は仰け反り、斬ったのは着物だけとなってしまった。
「・・・なっ!?」
なんだこれは。そう言葉を紡ぐ事も出来ず見開いた目で男の姿を凝視するしかできない。
切れ目からは男が体に巻きつけている爆弾の数々。いくら爆弾に詳しくなくとも、それだけあれば大使館一つ吹き飛ばすぐらいはできるだろう。
の驚愕の表情にニヤリと嫌な笑みを浮かべた男が体勢を立て直すと、僅かな隙を狙って大使館へ向かおうとした。
しかしそれを見逃すわけもなく、横薙ぎに刀を振れば男はそれを受け止め後ろへ下がった。
なんとしても行かせてはならない。
は一度深呼吸をするとジッと男を見つめる。
その時突然、大使館の方で爆発音が響き渡った。それはビリビリと鼓膜に響き周りが振動するほどに大きな音。
驚きは高い塀に囲まれ見れないが、視線を大使館のほうへ向けると黒い煙が上がっている。男の笑う気配を感じ向き直った。
「くくく、馬鹿な奴等よ。俺はただの囮にすぎん。これでわれらの目的のひとつは達成・・・し、た・・・・・・っ!?」
勝ち誇ったような笑み浮かべ声高に言葉を投げつけてくる男だが、それはあとになるにつれ詰まってくる。
爆弾が爆発したものだと思われた音の後、今度は少し違うものが二度、三度と鳴り響く。音が鳴る度に一瞬、辺りは明るく照らされた。
空に咲く花は今の場にはあまりにも不釣合い。塀の向こう側からは剣戟の音に断末魔に似た叫びなどが聞こえる。
「どうやらあなたの仲間はうちの隊長の火遊びをソレと勘違いしてしまったみたいね」
一人を囮として大使館から注意をそらした隙に大使館を爆破。それを合図に、混乱した隙に浪士達が乗り込み中に残る天人を斬り伏せる。
それが監察によって浮き彫りにされた浪士の作戦。
爆弾を探し処理するだけでは解決しない。ならば浪士も捕らえなければならないが、爆発が起きなければ待機している浪士は動かない。
下手をすれば作戦が失敗したと悟り逃げてしまう。
ならば、一つ大きな爆発でも起こしてみましょうと沖田の策が採用されたわけだ。
もちろんそれを成功させるにはもう一つ重要な事がある。目には目を、囮には囮を。その囮役にが選ばれた。
後に放った花火はたぶん沖田による浪士に対しての嘲りの意味をこめてのものだろう。
どこまでもサディスティックなのだとは内心苦笑した。
一方、男はどこでこの作戦が漏れたのかと疑問を口にしながら口汚くを罵ってくる。
罵倒に怒りを覚えるでもなくは冷たい殺気を纏いながら、静かに刀を構えた。
「うちの監察を、あまり舐めない事ね」
「く・・・くそォォォ!!!」
怒りを露わにした男は逆上し我武者羅に斬りつけてくる。
感情が乱れた剣筋は粗く、は受け流しながら小柄な身を活かしヒラリヒラリと避けると男は力任せに刀を振るった。
身を屈め刀が頭上を過ぎた所で横薙ぎに斬り付け、男も同時に動き互いの刃がぶつかりあう。
巨体の男の力を受け止める事になったの腕はビリビリと痺れ歯を食いしばい耐えたが、鍔迫り合いの中、男は強く踏み込み
の腕は後ろへ弾かれ、刀は街路樹の幹の中程まで突き刺さってしまった。
抜く事ができないと判断したはすぐに刀を手放すと、男が袈裟懸けに斬りつけて来た。横へ転がり攻撃を避け片手を軸に回転すれば足払いをかける。
受身を取ることも出来ず倒れた男は呻き声を発しながら、しかし握られた刀を放すことはない。
素早く男の右手首を踏みつけ起き上がれないよう胸元に乗り体重をかければ、腰から短刀を抜くと男の首元を掻き斬った。
立ち上がり頬に飛び散った血を袖で軽く拭うと、男の体に巻きつけられている爆弾を取り外そうと死体へと近づこうとした。
その時、後ろから誰かが歩いてくる気配を感じる。一瞬、隊士の誰かかとも思ったが様子がおかしい。
纏う空気が背中に嫌な汗をにじませる。隊士ならその様な気配を纏うはずが無い。
たとえ浪士達を捕らえた後で気が立っているにしても、あまりにもありえない殺気とも言いがたい気配。
何より塀の向こう側。大使館の敷地内では沈静化されつつあるものの、いまだ抵抗する浪士がいるのだろう。
刀のぶつかる音や流れてくる独特の香りは絶える事が無い。
気配はすぐ後ろまで、無言のまま迫ってきている。唇を引きしめて少しの緊張を残したまま、は振り返った。
瞬間。
目の前を一閃したのは煌めく刃。咄嗟の所でそれを仰け反るように避けたが、体勢を整える前に向けられた殺気に思わず後退ってしまった。
すぐに壁に背をぶつけて相手を見据えようとした瞬間、顔のすぐ横に切っ先をつきたてられる。
ほんの少しだけ、頬が切れた。
「よォ、戦姫」
「・・・高杉・・・っ!」
嘲るように笑う月を背負い立つ高杉の表情は、見えなかった。
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