前へ進め、お前にはそのがある

>乗り越えろ -act08-







翌朝、いつも通りの時間に新八が万事屋へ出勤してくればが既に台所で朝食の準備を終えようとしていた。
まるで昨日の事など何もなかったかのような振る舞いだが、新八はそうも思ってられず一瞬の躊躇いを見せる。
土間で暫し立ち尽くして居れば気付いたが挨拶をしてくるが、いつものように返すことはできなかった。
大丈夫なのか。そう聞こうとしてやめた。大丈夫であるはずがない。
新八の心境を察したのか、苦笑を浮かべれば「大丈夫だよ」と答える。


さん・・・」

「大丈夫、今はまだ大丈夫だから。だって、まだ私は大切な人の事を覚えているもの」


浮かべた笑顔は苦笑でしかなかったがはっきりそう言ったに迷いは無いように見える。
無理だけはしないでくれ、と以前言った新八の言葉も覚えていると言うが、なら一体何処まで記憶が消えてしまったのか。
昨日今日で大半の記憶がごっそり抜け落ちる、と言う事では無いらしい。
やはり昨日から一昨日にかけての事は殆ど思い出せないようだが、不思議と雨月の事は覚えている。これも仕組まれた事なのだろう。
昨日の出来事の大半は銀時から聞かされたようで、お菊やトメの事も今は知っている。

記憶が消えるのは本当にごく自然と、常温に放置された氷がいつのまにか融けているかのようで
それに伴う肉体的な痛みは無いものの、精神的には相当の痛みを伴っているだろう。
今はまだ『今日』という日を記憶に刻んでいる。しかしそれも明日になれば忘れているかもしれない。言い知れない恐怖だ。
それはにしかわからないもので、話しを聞いているだけの新八では到底その痛みがどれほどのものか計り知る事はできない。

出来た朝食を持って居間へ行けば珍しく既に着替えも済ませている銀時達がソファに座っていた。
一応眠りはしたが早朝に目が醒めてしまった神楽によって叩き起こされたのだと、銀時の愚痴が零れる。
箸を進めつつ今日はどうしたらいいのかと打ち合わせをすれば、がお菊の元に行こうと言い出した。


「でも、その雨月って奴を探さないとの記憶が消えちゃうヨ」

「すぐに消えちゃうわけじゃなくて五日は猶予があるもの、それにあの人が何処にいるのかなんて、わからないし」

「まあ、そういうこったな。居場所のわからねぇ奴を探し回るよりも、まずは居場所の分かる奴からだ」


五日と言ってもそう充分に時間があるとも思えない。
それでも銀時の言う事ももっともである。無駄に時間を費やせる状態では無い状況だ。
今ここでこうしている間にも徐々にの記憶は消えていってしまっているのだから。

早めに朝食を済ませた銀時達は昨夜トメから聞いたお菊と男のいる場所へ向かった。
別荘地よりもさらに先に進んだ場所。そこに雑木林がある。その奥にある廃屋でお菊は男の治療にあたっている。
そこは上手い具合に木々に囲われ外からでは到底見えないうえに、人の通りも少ない道に沿っている。
さらにそんな雑木林に入る物好きなど、まず居はしないだろう。

雑木林に足を踏み入れ注意深く見れば、多少人の踏み均したようなあとが見えた。
奥へと進んでいくと聞いたとおり廃屋が一軒佇んでいた。微かに中から人の気配を感じ取り、銀時は慎重に扉を開ける。
昼前だと言うのに木漏れ日のみの明るさだけの所為か中は少し薄暗い。部屋の真ん中に敷かれた布団の中で眠る男の姿が微かに見えた。
扉の前で固まる銀時達の背後で草を踏む音が聞こえる。振り返ると同時に「誰ですか」とか細い女性の声。
その声音には緊張と警戒を含んでいる。振り返れば水の張った桶を手に持ち立つお菊の姿。


「お菊さん・・・?」

「・・・あなた方は・・・?」

「僕ら、弥三郎さんから依頼されてあなたの事を探してたんです。あと、トメさんにも頼まれました」

「お父様とトメさんに・・・そうですか」


身内の名を出して多少の警戒は解いたようだが、それでも緊張の糸は切れなかった。
中ではけが人がいるから廃屋から少し離れた場所で話しを聞こうと、お菊が歩き出せばそれに黙ってついていくしかない。
廃屋を目視できるほどの位置で立ち止まり、最初は伏目がちだった目を真っ直ぐに向けてきた。
自分たちがここに来た理由は既に先ほどの新八の一言で説明を終えた為、お菊からの一言を待てば暫しの沈黙が流れる。
やがて風が一吹きし、木々の葉が揺れた頃に漸く口を開いた。


「私は、まだ帰るわけにはいきません。お父様には・・・そのうち、帰るとお伝えください」

「それで親父さんが納得するかね? アンタを心配して俺らに依頼したんだ。連絡一つぐらい寄越しても罰はあたらねぇぞ」

「なんて親不孝者だと、そう思われるかもしれません。でも、今はあの人から目を離すわけにはいかないんです」


視線を廃屋へ向けたお菊の横顔は表現の難しい表情をしていた。
悲しそうな、遠くを見るような。それでいてどこか穏かにも見える。
お菊の意志は固いらしいことはその表情で読み取れてしまった。これ以上何を言っても家に帰るどころか連絡も寄越しはしないだろう。
しかし言われた通りの言葉を伝えたとして、はたしてそれで弥三郎が納得するかと言えば、無理だろう。
それをお菊もわかっているはずだが、頑としてここを離れる気も無いようだ。


「・・・そりゃ、医者を目指すっつーアンタの意思か?」


銀時の問いは静かに空気に溶けるだけでお菊からは沈黙で返された。
それを返答として受け取ったのか、踵を返すと背を向けて「帰るぞ」と言って歩き出す。
慌てて追いかける達が振り返ったときにはお菊の姿はもうなかった。
雑木林を出た所で一体どうするのかと新八の問いに、とりあえずはトメの元へ向かうとその足で別邸へ向かった。
昼間の明るさの元で改めて見た別邸の広さはあまりにも大きすぎる。門へ向かうのも一苦労だ。
呼び鈴を鳴らして暫くすればトメが出る。銀時達の姿を確認してもさほど驚いた様子も無く、中へ通されお茶を出された。
昨日神楽が言った事を覚えていたからかどうかはわからないが、茶請けになぜかたくあんが出される。


「で、お嬢様には会えたのかい?」

「ああ、でも取り付く島もねぇな。ここを離れねぇの一点張りだ。それに一つバァさんにも聞きたい事もあったし」


言いながら懐から取り出したのは昨日、ここで神楽が見つけた写真立て。
騒動の際に咄嗟に懐に仕舞いこんだまま持ち帰ってしまったものだ。
「どこにも無いと思ったら」と少々呆れた様子で漏らすトメに、一言謝るだが構わないと返ってくる。

改めて写真立てに写った者を見れば、多少の違いはあれどもお菊と弥三郎だとわかる。弥三郎の隣にいるのは妻のお里だろう。
お菊の横で写っている十五、六ほどの男は誰かと問う前にトメからお菊の兄の善次郎だと答えが示された。
明るい中改めて見た写真。ここへきて漸く銀時が感じた違和感がはっきりと形作られる。
三人の笑顔に囲まれる中、善次郎だけは睨むような表情をしていた。それはけして写真に緊張して、というものでは無い。
まるで見る者を射抜くような反抗的な視線だった。





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