前へ進め、お前にはその足がある
>乗り越えろ -act07-
雨月の言葉が理解できなかった。否。正しく言えば、言葉はただの音としてしか認識できないでいた。
脳が言葉として処理しきれない。
ただ驚きすぎてもう何に驚けばいいのかすらわからず、ただ呆然とするへ雨月はもう一度言葉を紡ぐ。
「貴女をこの世界に呼んだのは私なんですよ」
雨月は科学や心理学、様々な分野を研究する星の天人だと初めてはっきりとした正体を明かした。
それでもなぜ、違う世界のをこの世界へ呼んだのか。その真意も目的もわからない。
結局正体が知れてもわからないことだらけで、不可解な事に変わりはなかった。
雨月の故郷である星は、その星自体がまるで大きな研究施設のようなものであり、先ほど言ったとおり様々な分野の研究が進められている。
言葉として伝えきる事のできないほど膨大な分野の中、雨月は物体や人の様々な移動について研究を進めていた。
それは空間の移動であったり、果ては次元、世界。それこそ聞く者によればただの世迷言、戯言にすら聞こえるようなものだ。
その成果の一つが持つステッキに凝縮されているらしいが、原理を話しても理解できないだろうからと詳しい説明はなかったが
今の状態ではとてもではないが理解できそうに無い。
簡単に言ってしまえばそのステッキにを使う事によって、対象を任意の場所へと瞬時に空間移動させることが出来ると言う事だ。
銀時達が居なくなったことはそれで説明できる。ならばは自分もそれと同じ原理なのかと聞けばそうでは無いらしい。
空間と、世界とは移動の速度だのと色々な条件が違うらしく、そのための機材が別にあるらしい。
また難しい事を言い始めた雨月に訝しげな表情を見せれば一つ咳払いをした。
わかりやすく一言に纏めてしまえばは世界観の移動の実験体だった。
移動によって掛かる心身への負担や影響など、それこそ様々な面で研究を進める為には最終的には人体実験が一番だと対象を選び抜く際
たまたまその白羽の矢が当たったのがだったにすぎない。
一年ほどかけての実験は雨月にとって中々興味深く良い結果が出た実験であり、この先の研究を進めるのに何ら問題はなかった。
先のステップへ進むために、必要性の無くなったを元の世界に返す事にも何ら躊躇いはなかったが、ここで雨月にとって予測しがたい自体が起こる。
が戻ってきたのだ。それには雨月も驚きを隠せず、次いで湧き出たのは苛立ちだった。
「貴女にはいつも纏わりつくように、銀白色が見えていました・・・まったくもって忌々しい色です」
雨月の言葉に銀時を思い出したは、無意識のうちに指輪に触れた。
の小さな動きなど気にせずに雨月がもう一度吐き出したのは、はっきりとした銀時への悪口雑言。
今まで紳士的な態度ばかりで口調も穏かだった雨月は、ここへきて初めて人間臭い表情と感情を露わにする。
完璧な研究を良しとする雨月はもちろん原因を調べた。
何が研究の邪魔をしているのか調べて一つ判ったことがあったが、それは彼自身にとって理解しがたいものだった。
強く帰りたいと願い、会いたいと思う形無き、想い。そしてと強く惹かれあう、雨月の言う「銀白色」の存在。
最初でこそ否定したがそれ以外考えられず、人の想いなどについて専任している者へ聞けばそれは大いにありえることだという答えを貰った。
それがさらに苛立たせている原因だろう。
ここまでの言葉を聞いていれば雨月と言う男がいかに、研究者としてのプライドがどれほど高いか窺い知る事が出来る。
は初めて雨月の存在に現実味を感じた。今までは不可解でしかない謎の人物だったが蓋を開けてみれば
高慢で己の成す事に絶対の自信を持ち、自分の考えを覆すような事象を良しとしない完璧主義者なだけだ。
とにかく次へ研究を進めるには研究者の礼儀として、実験の対象は元に戻さなければならない。
しかしいくらやれども上手くいかず、繰り返すたびに自分の研究や成果を踏みにじられたと言う錯覚に苛まれた。
ここで漸く雨月は強い想いの存在を認めるしかなく、それならば逆に帰りたいと強く思えばいいのだと思い始める。
極論だ。しかし間違いでもない。強い想いでこの世界に留まっているならば、その逆も然り。
へ渡した懐中時計は言わば恐怖心の増幅機のようなものだった。強い恐怖を与え、このような所に居たくは無いと思わせればいい。
そうして頃合を見計らってまた目の前に現れ、元の世界へ帰せば全ては終わる、はずだった。それは寸での所で新八と神楽によって阻止されてしまう。
本当ならばすぐにでもを元の世界に帰すべく実行に移したかったが、それは地球の空気が許さなかった。
雨月の星の者には地球の空気は合わないらしく、スーツに見える防護服で身を包み、日中は深く帽子で顔を隠さなければ
とてもではないが一日たりともいられるような状態では無いらしい。
今は夜のため多少の空気の濁りは消えている。帽子を被っていない理由はそこだろう。
「さて、説明はここまでです。さぁ、元の世界に帰りましょう」
手を差し伸べて言ってくる雨月を見上げながらは唇を強く引き結んだ。
なんと自分勝手すぎる言い分だろうか。そう思えど上手く言葉が出ず、ただ強く睨み据える事しかできない。
「・・・・や、です・・・・」
辺りは耳が痛くなるほどに静かだ。小さく呟かれたの言葉が聞こえなかったわけでは無いだろう。
ここに留まっている原因がわかっているならの答えなど予想できていたが、それでも聞こえた拒絶の言葉に苛立たしげに顔を歪めた。
その様子の変化に気付いているがそれでももう一度、今度ははっきりと嫌だと口にする。
我侭な、と呟きながら深く呆れや苛立ちを含んだ溜息をつけばステッキを持ち直す。
「ならば仕方ありませんね。強硬手段に出させていただくとしましょう」
言いながらステッキを回せばの目の前に突然現れたのはから貰った砂時計。
突然、物が目の前に現れようともうすでに原理はわかっているから驚きはしないが、何故砂時計なのか。
これは大切な物だ。何をしようとするのか。は視線だけで訴えかければ、目の前でもう一度ステッキが回された。
「ここに留まるのがその想いとやらならば、記憶ごとその想いを掻き消してしまえばいいだけの事」
ありえない事象だった。
砂時計の砂が下から上へと流れていく。速度は通常のそれよりずっと遅いが、確かに流れている。
その砂、一粒一粒がの記憶であるととんでもない事を静かに告げた。
痛みはなく徐々に新しい記憶から掻き消されていくだけであり、全ての砂が上がりきったとき、のこの世界に関する記憶は全て消えている。
全ての記憶が消えるまで時間にしておよそ五日ほど。その頃を見計らってまた迎えにくると残し雨月は姿を消してしまった。
呆然とした。
沢山の思い出。誓った心。仄温かい、想い。その全てが消えてしまう。
その事実に、気付けばは地べたに座りこみ虚空を見つめている事しか出来なかった。
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