前へ進め、お前にはその足がある
>断ち切れ -act06-
バイトが休みの日のは、万事屋にいる事が殆どである。万事屋の仕事が入れば手伝う事もあるが、人手が足りている場合は留守番をしていた。
「帰ったらちゃんと玄関まできておかえりなさいが欲しい」と言う銀時のわがままを聞いてあげているのだが、正直少しだけ気恥ずかしさがある。
そんな事を考えていれば、扉の開く音が聞えた。は出迎えに玄関へ行けば、元気な声を上げて帰ってきた神楽の後ろから入って来た新八と銀時に驚く。
所々に擦り傷や引っ掻き傷を作って帰ってくることもままあるが、今日のは一段と酷かった。
鳥小屋が壊れて逃げた鶏を捕まえてくれ、という依頼からして怪我をして帰ってくるだろうとは思ったがまさかここまでとは。
流石に予想の範疇外な怪我を負っているのだから、叫び声を上げても仕方ないだろう。
自分のした怪我なら痛みの度合いなどがわかるのでまだ良いが、他人の怪我ほど見ていて痛々しい物はない。
すぐに手当てだと消毒液やらなんやらを取り出しながら、その前に傷口を洗い流さなければなどバタバタ走り回っているに
神楽はを指差しながら、その怪我はどうしたと聞いてくる。言われた言葉が不思議でたまらず、思わずオウム返ししてしまった。
今日は家から一歩も外に出てはいない。
怪我などした覚えも無いが、もしかしたら何処かにぶつけたか、紙に擦れて切ったかしたのかと思ったが指された場所がおかしかった。
肩を真っ直ぐに指し示す神楽。不思議に思って、は自分の肩を見ると、突然そこからドロリと赤いものが流れる。
「・・・なに、これ・・・」
着物の切れた合間から見えた自分の肩は鋭利な何かで斬られたようで、だんだんと熱を持ってきた。
鼓動と同じように重く鈍い痛みが襲い掛かり、思わず肩を手で押さえしゃがみこむ。目の前にいるだろう神楽たちへ視線を戻そうとした。
しかしそこには誰も居らず、辺りはまるで暗い夜道のよう。ここはどこだと口にする前に突然目の前に影が落ちる。
見上げれば、夜空には満月。それを背負うように立つ男の影が、刀を掲げ振り下ろそうとしていた。
ハッと気付く。
今まで見えていた光景は全ては幻だったかのように、今目の前には見覚えのない壁と床だけが視界の半分ずつ映っている。
眠っていたのか、気絶していたのか。それすらわからない。
ただ目を覚ましたは次第に肩から重い痛みを感じ、痛みが鼓動と共に身体中を蝕むたびに熱も帯びてくる。
肩を庇いながら何とか上体を起こすと、やはりそこは見たことがない場所。何処かの部屋らしい。
一体自分は何故こんな事になっているのか。起きたばかりの頭で必死になって考えれば、漸く思い出す。
「・・・・っ、」
斬られた肩。切れた着物の間から見える素肌には一筋の紅い線が残っている。痛みに比べれば傷はそう深くは無いらしい。
似蔵の言葉を思い出せば、あの場で殺すつもりはなかったのだろう。それでもの命は確実に、似蔵自身の動き一つでどうとでもなった。
肩の痛みと共に、やたらと五月蝿い時計の音。それを頭を振って何とか振り払おうとするが、そんな事をしても鳴り止むわけもない。
ガチガチと五月蝿い音に顔を顰めたとき、カツ、と別の音が聞えた。
無意識にも似た動作で顔を上げた瞬間、は動きを止め目を見開いて見つめた。会ったことはない。
厳密に言えば、は一度だけ「見た」事がある。しかしそれは騒がしい祭り会場で、人込みに紛れるようにして歩いている姿を見ただけで
その時の忙しさ故にすぐにその記憶は奥深くへと沈み、忘れ去られていった。
ただ、一度だって何かで顔を見たことがあるかと聞かれれば「ある」と答えるだろう。桂と並んでよくその顔は手配書として街の至る所に張られている。
「ようやくお目覚めかい?」
かけられた言葉に詰まっていたものが流れるかのように、は高杉の名を思い出す。
の様子にどんな意味をこめてか。フッと口元だけに笑みを浮かべると、の目の前まで近づいてくる。
一体何をするというのか。何が目的なのか。ここはどこなのか。
聞きたい事など山とありすぎて、どれから聞けばいいのかわからない。しかし聞いた所で高杉が答えるとも思えず、ただ見つめる事しかできなかった。
静かに、抜かれた刀。その切っ先を喉元に翳され、微かに触れるとプツリ、と小さな痛みを伴って感じたのは流れる一筋の血。
痛みは肩に比べれば針で刺された程度。しかし今、確実に自分の命をとるに値する恐怖がその切っ先にはあった。
息を飲んで動きを止めれば、後ろに下がる事も声を上げることもできなくなってしまう。微かに唇が震える。体を支える手が冷えてくる。
ガチガチとぶつかる歯はその震えを止めてくれない。視線だけは泳がずにいるが、その視界には何も映っていないような錯覚。
恐くなんかない。恐いものか。負けるものか。
言い聞かせるように何度も何度も、呪文のように繰り返す言葉は意味を為さず。
鳴り止まない時計の音は更に激しく、今まで聞いたことがないくらいに響き渡り周りの音を掻き消していく。
「恐いか?」
だとういのに、高杉のたった一言の問いは確かにの耳に響いた。
ただ一言の言葉に全身が総毛立つ。
似蔵とは違う突き放すような殺気。目前に確かに迫った死の恐怖。肩や喉を襲う痛みや熱。伝う血の気持ち悪さ。漂う臭い。
恐くないわけがない。
小さな傷も負えば痛む。血が流れれば恐い。刃物を向けられれば恐ろしい。死ぬことは恐い。自分が傷つくのも恐い。大切な人が傷つく事も恐い。
沢山の思いがグルグルと思考を占めて、言葉が回る。そこで初めては気が付いた。
今まで音が鳴る度に恐く無いと言い聞かせてきたが、それはただの強がりであり、目の前の襲いくる現実から目をそらそうとしていたという事に。
逃げない為に神楽の好意を断ったと言うのにその実、逃げていた。
襲い掛かってくるような苦しみから。恐怖から。痛みから。
目をそらして当たり前だ。恐いのだから。
それでも、どんな痛みだろうと苦しみだろうと目をそらさず、真っ直ぐ射抜くように前を見据える者達を、は知っている。
銀時達は、一度護ると決めたものを護り抜くためならばどんな痛みでも歯を食いしばって耐え、どんな恐怖にだって膝を折ろうとはしない。
真っ直ぐ歩く事も立つ事も、前を見据える事もとても難しい。自分が負う痛みより、他人が負っている痛みを知ることは遥かに難しく、そして苦しい。
そんな事を微塵も感じさせない銀時達の強さを、改めて知ったと同時には、その強さを否定するような行為をしていた自分が恥ずかしくてたまらなかった。
皆の強さに縋っていつのまにかその陰に隠れようとしていた、甘えきった自分に腹が立ってくる。
ズキリと、肩の痛みが重く響いた。
(今まで、銀さんたちはこんなに恐い思いをしながら、沢山のものを護ってたんだ。護って、くれてたんだ)
それは例えば。
突然一人でこの世界に来た自分であったり。仇を取ってくれと泣いていた子供たちだったり。
故郷へ帰ろうとしていた神楽だったり。巨大化した定春だったり。捨てられていた赤ん坊だったり。
怪我をしても強く、前に踏み込んで活路を見出して。苦しくても、歯を食いしばって確りと地に足をつけて。
今までくれた言葉の数々が重みを持っての中で響き渡る。
絶え間なく痛む肩へそっと手を伸ばす。目の前に立つ高杉のかざす切っ先はの喉に突き当てられたまま。下手な答えを出せばどうにでも出来てしまう。
今まさに、の命は高杉が持つ天秤がどちらへ傾くかによってで決まる。あまりの緊張に、乾いた喉がチリッと痛みを訴えた。
大丈夫。気付く事ができた。少し遅くなったけど、ちゃんと気付けた。まだ、手遅れじゃない。
認めろ。恐いと思うことは、悪い事じゃない。恐いと感じるたびに、思い出せばいい。支えてくれる人たちを。自分の護りたいものを。
弱いから恐いと感じるならそれでいい。弱くていい。これから、少しずつ強くなっていけばいい。急ぐことはない。今は、弱い自分に気付けた。
今は、それでいい。
「・・・恐い、です」
視線は真っ直ぐに高杉へ向けられ、掠れながら告げられたの言葉。
どう捉えたのか。それは本人しか知らないことで、高杉は必要以上言葉にしない。
暫しの沈黙の間視線をぶつからせたままだった二人だが、突然高杉が目を伏せ先ほどとは違った笑みを浮かべると刀を下げ背を向けた。
それによって、の中の緊張が崩れ、つめていた息が一気に吐き出される。バクバクと五月蝿く鳴るのは心臓の音。
「似蔵の奴ァ、アンタを銀時をおびき寄せる為のエサにするつもりだったらしいな」
クツクツと笑いながら楽しげに紡がれた言葉に、驚く。
なぜ高杉が銀時の名を知っているのか。まるで知り合いのような言い回しにも思えるが、聞いても答えてくれるわけが無い。
向けられた背を見つめ、が一度唇を噛み締めるとたまった唾を飲み込み意を決して言葉を返す。
「・・・私は、ただ食べられるのを待つだけの、エサなんかじゃありません・・・」
からまさか答えが返ってくるとは思っていなかったのだろう。
部屋から出ようとしていた高杉は、その言葉に足を止めると僅かに振り返ればまるで、鼻で笑うかのような態度をとる。
目の前まで来れば突然しゃがみの顎を掴み目線を無理矢理に合わせた。肩の痛みに顔をしかめるがそれに構わず、顎を掴む手に力を込める。
「そうさ、アンタはただのエサなんかじゃ無ェ。砥ぎ石だ」
「砥ぎ・・・石? ッ!」
「せいぜい、折れねェ程度に奴の牙を磨いておく事だな」
顎と掴んでいた手を突然離すと、それ以上何も言うこともなく高杉は部屋から出て行ってしまった。
痛みにうずくまるは、痛みが過ぎ去るまでの間、高杉の残した言葉の意味を何度も考えたが解るわけもなく
ただ多くの中で謎が残るばかりで、どれもこれも「わからない」の言葉だけで終ってしまう。
痛みが引いたらここを出よう。そう考えながら静かにはうずくまりながらも、漸く恐怖の連鎖から抜け出した安堵に知らず笑みを浮かべる。
気付けばもう、あの五月蝿いほどに鳴り響いていた時計の音は止んでいた。
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