前へ進め、お前にはそのがある

>断ち切れ -act05-







複雑に入り組んだような路地裏の一角。は似蔵と出会ってしまった。
舐めつくような、纏わりついてくる気配に身震いをする。
息を飲み足を止めたが見据える先には、月明かりに上半身の一部を斜めに照らされた似蔵の姿。ニヤリと笑う気配に寒気が走った。
辺りに漂う嗅いだ事の無いような鉄錆びに似た臭いは、微かに生臭さも伴っている。一体何の臭いなのか。
そんな事を考えていたへ一歩、ジャリッと音を立て踏み込んできた似蔵に驚き、一歩後退った。
また一歩。また一歩と繰り返してれば、やがて上半身だけしか見えなかった似蔵の姿は、その全てが月明かりの下にさらされる。








「ヒッ!」



「ああ、これかい? さっき君の所の坊やにやられてねェ。酷い事するだろう?」








右腕が無い似蔵の姿。そこから滴る血があたりに漂う臭いの原因だったらしい。
今まで見たことがないような怪我には全身の血の気が引くのを感じた。
頭の裏がじくじくと妙に熱く感じる。そのくせ、妙な浮遊感まで漂って、まるで今の出来事が現実ではないかのような錯覚。
鼓動の音がやけに響くが、それ以上にうるさく全身に響く音があった。ガチリガチリと、何故こんな時に限って元に戻ってくるのか。
戻ってきてしまった時計があるだろう、胸元へ無意識に手を当てる。
今、ここにあると認識してしまった瞬間、迫りくるのは恐怖だった。
必死に感情の波に飲まれないよう抗い、今の自分を繋ぎとめるのに恐くなんかないと何度も自分に言い聞かせる。
とにかく今は逃げるしか無いと、必死に震える足へ動けと信号を出す。いまだ頭の端はふわりふわりとした浮遊感。
そんなものに構っていられるわけもなく、緊張と恐怖で乱れる呼吸を少しずつ整えていく。必死に、落ち着けと言い聞かせた。

逃げようとするをまるで嘲るように似蔵は口元を笑みに歪ませ、また距離を縮めてきた。
後退ればやがてその背中は壁にぶつかる。道は左右に別れているが右は行き止まり。
なら逃げるのは左だと微かに重心をそちらへと移動させた。似蔵とはいまだ距離がある。
たとえ刀を持っていても片腕では抜く事はできないだろう。そう思ったのが、間違いだった。
グッと、左に踏み込んで逃げようとしたは、突然目の前に刀が突き刺さり行く手を遮る。
突き刺さった刀を抜く似蔵の腕は、腕と呼ぶにはあまりに不適切な表現。
機械と呼ぶにはあまりにも生々しく、生物と呼ぶにはあまりにも無機質な様相の管。
腕などではない。元々腕があった場所から生えたもの。それが真っ直ぐと伸び刀を巻き込むとそのまま右腕となってしまった。

整えた呼吸は一気に乱れ、足がまるで地面にくっついてしまったかのように動かない。
目の前を遮っていたものはなくなったと言うのに、体は固まり指一本すら動かす事ができなかった。



「どうやら、こいつはまだ血が足りてないらしい」



握られた刀を微かに示すように持ち上げた似蔵は不気味に笑みを深めた。
は痙攣するように震える唇が上手く開かず、疑問を言葉にすら出来なかった。
の様子を窺っているのか、暫し思案するような間を置いて似蔵は「そうだ」と何か閃いたかのような仕草をする。



「アンタを白夜叉の前で殺してやるって言うのも、一興かもしれないね」



「しろ・・・や、しゃ?」



聞きなれない単語を無意識に繰り返したが、答えが返ってくることはない事はどこかわかっていた。
そんな事よりも、早くこの場から離れないといけない。そう思っても指一本、動く気配すらない。
似蔵の気配にいまだかつてない危険を感じる。それでも身体中を蝕んだ恐怖が動く事を許さない。

似蔵から感じられる冷たい殺気に全身が凍りつく。息をしているのかどうかすらもわからない。
視界が揺れる。体が小刻みに震える。鼓動がうるさく鳴り、時計の音も煽るように響く。
音と感情の波が精神を全て飲みこむような感覚。
片腕しか無いから、刀なんか抜けない。そう思った事を後悔した。生えた管がまるで腕のように、腕とは言いがたい動きで刀を構え、下から振り上げる。

避けなきゃいけない。逃げなきゃいけない。そう思ってもまるで体は動かない。


似蔵の動作の全てが、やたらとゆっくりで現実味が無い。
気付けば、斬られたのだろう。だが不思議と痛みは感じられなかった。
いつのまにかの体は壁にもたれ掛り、上を見上げていた。
視界には建物の隙間からのぞく夜空と、照らす月と。

















―――  ああ、ごめんね銀さん

















光る切っ先と、舞う血。



















―――  せっかくくれた着物、汚れちゃった・・・





















一瞬見えた銀色の光は錯覚か。否か。
見えたものに、愛しむように目を細めればそのまま全ての光は暗闇へと飲まれていった。





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