灰愛色 -はい いろ-
>誇り -act 01-
月も天頂に差し掛かったような時間。
民家が建ち並ぶ町の一角や、既に閉店時間を迎えるような店が軒を連ねる場所は静まり返っている。
反面、夜こそが本番だとばかりに輝くネオンで夜闇を裂き、昼に近い明るさを持ったかぶき町の繁華街は
客寄せの声や酔った男や女の声が混じりあい、眠りを知らぬような賑わしさでその存在を主張していた。
人が激しく行き来を繰り返す大通りを正面に向え建つ、一軒の料亭。
中から微かに漏れ聞こえるのは客の笑い声や、三味線の音など。その様子からは何ら問題など感じられない。
店の脇にできた人ひとり、漸く通れるであろう幅の脇道とも言い難い隙間に、黒い隊服を身に包んだ者達が静かに息を殺して
突入の合図を待っているなど、誰一人、予想できないほどに空気に何ら変化など無かった。
そこへ小さく、彼等にしかわからないであろう合図の音が響く。
合図がなったと同時に、まるで塞き止められていた川の水が押し寄せるかのように、料亭の中に黒い一筋の流れが出来上がる。
驚く料亭の者達や、たまたま廊下を歩いていた他の客。それらに一切目を向けず、動かす足は目的の部屋を目指し走る。
先頭を走る土方とそのすぐ後ろには沖田がつき、ある一室についたと同時にまるで蹴破るかのように乱暴に襖を開け中へと駆け込めば
数名の攘夷浪士と思わしき男達が驚きながらも、既に腰に差す刀へと手をかけていた。
入り口から部屋へ着く少しの間に起こった異変に気付き、とった行動だろう。開けた襖の脇には刀を抜いた浪士が二人、土方と沖田を狙い
その刀を振り下ろしてきたが難なくそれを受け止めると、すぐ後ろについてきていた他の隊士達も部屋の中へと踏み込んだ。
「御用改めだ、神妙にお縄につきやがれ!」
「クッ、幕府の犬になどに屈する我等ではないわ!!」
「ハッ! こんな所で飯食いながらテロのご相談なんざしてるテメーらに比べりゃ、犬の方がまだ賢いんじゃねェのか?」
「ほざけ!!」
土方の言葉に逆上してか、浪士は刀を抜くと畳を強く踏み込んで切りかかってきた。
だが浪士と土方の刀がぶつかる事は無く、脇から飛び出てきた沖田が峰打ち、浪士は呻き声を一つ漏らしただけで崩れ落ちる。
既に他の浪士たちも隊士達によって一人は激しく抵抗した為に斬られ、他は沖田同様、情報を聞きだすための生け捕り。
ここまで派手に踏み込んでおいて、以外とあっけなく終ってしまった。だがこれでいいのだ。
準備や聞きこみ、調査などを山崎他、監察方の者達が時間を費やした結果がこの本番のあっけなさである。
「ひぃ、ふぅ、み・・・あれ、土方さん、一人足りやせんぜ」
「あ? ・・・・・・おい、山崎。たしか六人居るはずだったな」
「はい! 突入前にも確認しましたが、確かに六人居ました」
「って事は、あの騒ぎの中ちゃっかり逃げたのか。
ここまでやって一人逃すなんて、責任とって切腹しやがれ土方コノヤロー」
「よォし。代わりにテメーの首かっ斬ってやらァ・・・安心しろ、楽に逝かせてやる」
沖田の言葉からいつものようなやり取りが始まろうとしていた二人に、周りは慣れきっている故に特に困った様子は無い。
場が場だけに、それ以上の取っ組み合いにはならず、すぐに現場の処理の指示を出し始めた。
一足先に料亭から出た土方はタバコを取り出すと火をつけ、紫煙を燻らせる。
ザクザクと音を立て、遅れてやってきた山崎がその背に問い掛けた。
「副長。捕り逃した一人はどうしますか?」
「放っておけ。どうせすぐに捕まる」
吸い込んだ煙を全て吐き出すと、天頂の月を微かに仰ぐようにしてまた深く、煙を吸った。
繁華街から外れた静かな住宅街。
遠くで何処かの犬が鳴いている声が聞こえる以外には、必死に逃げる男の激しい息遣いと砂利を踏み込む音だけ。
たまたま部屋から出ていた事で真選組の捕り物に巻き込まれることなく、こうして外へと逃げ出せた男は
捕まったであろう他の仲間の事よりも、その仲間からもし聞き出されたならば他の仲間も危ういと判断し
他の場所に待機しているだろう仲間の元へと、先ほどの事を知らせるべく走りつづけていた。
追っ手の気配は無い。だからと言って、足を止める気もなく男はザカザカと派手に音をたてて走る。
角を曲がって暫くすれば、他の仲間の所だと己を叱咤しつづけて足を止めようとする意志を必死に殺しつづけていた。
そんな男が足を止めたのは、角を曲がった所で月明かりに照らされ見えた、一つの人影が声をかけた時。
「こんばんわ。綺麗な月夜ね」
「なっ・・・っ、はっ・・・はっ・・・貴様・・・真選組かっ!!」
「ご名答。息切れ起こすほどに走ってきてくれてご苦労様だけど、鬼ごっこはここで終わり」
「ぬかせッ!! はぁっ・・・はっ・・・っ、女如きにやられる、儂ではないわ!」
乱れる呼吸を少しずつ整えながら、男は刀を抜き構え鋭く睨みつけてくる。
対し、月明かりで浮き上がり見えた口元はまるで三日月を模ったかのように綺麗に笑みの弧を描いた。
男は乱れた息を飲み込み、高鳴る鼓動を少しずつ静めながら呼吸を整えて時を待つ。
ほんの数分か。数時間か。
時間の感覚などなく、神経は全て相手に向けられいつ動くかと、様子を窺いつつ自身の動く機会も虎視眈々と狙う。
ジャリ、と砂と小石が踏みつけられ擦られたような音がやたらと大きく聞こえ、次には互いに地面を踏み込み男は刀を横薙ぎに払う。
斬ったと思った瞬間、目の前に相手の姿はなく。だがどこにいるのかと確認する暇も与えられず、男はそのまま崩れ落ちた。
刀の軌道を読み、身を低く屈め横へと跳躍して素早く背後を捕り、男の首裏を鞘に入ったままの小太刃で強く叩いただけだった。
それでも何が起こったのか理解でき無い状況では、たったそれだけでも不意をつくには十分過ぎる。
この短い攻防が終った事を知ってか知らずか、原田達が他の隊士をつれてやって来るのが遠目に見えた。
「ご苦労だったな。その男か、副長達の方から逃げてきた男ってのは」
「そうだと思います。大方、こっちに居る他の仲間にでも知らせに行こうとしてたんじゃないですかね」
行っても無駄だというのに。
口にはしないが、手錠をかけられ車に引き摺り連行される男の姿を追う、の目はそう語っていた。
テロを起こす会議をしている浪士達のほかに仲間が居る事は、監察の調べによって既に知られていた。
あとはその場所を割り出し、二手に分かれて一網打尽。だが他にこちらが知らない仲間や組織、何かの繋がりなど得られる情報もあるかもしれない。
数名は生け捕りにして屯所へ連行するという手はずだったが、今回は成功したらしい事を思いは大きく伸びをすると月を仰ぎ見た。
「これでやっと、お休みがもらえますかね?」
の誰にしたのかわからない問いかけに答える声はなかった。
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