冥界の双犬はを纏い

-act 06-







獅子宮の前で小石を睨みながらまったくこちらに気付いていないの姿に、アイオリアは困惑した。
どうしたらいいのか考えたが、放っておくわけにもいかず声をかけてみたが、はあまりに小石に集中しているのだろう。まったくアイオリアに気付いている様子はなかった。もう一度声をかければ漸く気付いたようでは奇妙な体勢のまま振り返った。そこで初めて、自分の状態がいかにおかしいものかにも気付いたのだろう。慌てて立ち上がり照れ笑いをする。


「おかえりなさい」

「あ・・・ああ・・・・・・何をしていたのだ?」

「小石を動かそうかとしてました」

「は?」


事の経緯がよくわからないアイオリアにとっては、の説明はあまりにも言葉足らずだった。当然の疑問に、貴鬼の事を話して漸く合点がいき幾分かすっきりしたようだ。
太陽は真上に至り、昼の時間である事を示している。戸惑いを払拭するかのように、昼食にしようといわれは漸く時間の経過に気付き驚く。貴鬼が居ない事にすらそこで初めて気づいたのだから、どれだけ集中していたのかと呆れられても無理は無い。
の様子を見て苦笑をもらしたアイオリアへ再度照れ笑いを浮かべたが、安心した次には気付いた空腹が早く何か寄越せと訴えかけてきた事に、照れ以上に恥ずかしさが際立ち目線を逸らしてしまう。


、昼食はすぐに用意できる。その間に少し身軽になったらどうだ?」

「あ、・・・そうですね。じゃあそうします」


わざわざ冥衣を纏う事もなかったのだが、巨蟹宮に預け置いておくわけにも行かない。だからといって、持ち運び様の箱があるわけもなく、結局装着はしていたのだが、まさかそのままご飯を食べるわけにも行かないだろう。アイオリアの言葉に大いに甘えさせてもらい、客室に冥衣を待機させておくことにした。
呼ばれ部屋を出れば、簡単なもので作った昼食が並んでいる。それを作ったのは紛れもないアイオリアだろう。しかしあまりにも早すぎるのは、どうしてなのだろうかと首を傾げれば、真意を汲みとったアイオリアからは朝食の残りだと納得いく答えが返ってくる。


「アイオリアさんは着替えなくても大丈夫なんですか?」

「ああ、そうだな。少し待っていてくれ」

「はーい」


キッチンを出て行ったアイオリアはすぐに着替え、早々に戻ってきた。その時、椅子に座って待っているが、待てをしている犬のように見えたなどと本人には言えないことだ。

昼食を作る暇が無いわけではなかった。しかしアイオリアは幾分か分量を間違えやすく、よく多く作ってしまう。がどれだけ食べるのか知らないが、女性というものは少食だと人伝に植えつけられた先入観的知識もあり、むしろ残ったものに少し手を加えたほうが適量だと考えた。
しかし、食べ初めて数分でその考えは間違っていたのだと改める事になる。
の食べっぷりになんとコメントしたらいいのか。まさか昨夜も大盛りをペロリと平らげ、デスマスクを呆れさせたなど知らないアイオリアは、朝食の残りで申し訳なかったとさえ思ってしまう。しかしそんな事を気にはしていないは手を合わせ、ごちそうさまでしたと幸せそうな笑顔を浮かべる。


「美味しかったです!」

「それはよかった・・・しかし、こんなによく食べるとは思わなかったからな・・・横着してしまってすまない」

「いえ、そんな事ありません。どんなものでも美味しく頂きます!」

「そうか・・・」


食後のお茶を楽しみながら、目の前でおなか一杯で幸せだと満面の笑みを浮かべるの姿に苦笑する。
まだ出会って一日と経っていない。接している時間などそれ以下だ。それでも、他人を謀り、陥れるといった方面とはまったく真逆の立ち位置に居る人間なのだという印象は、間違っていないだろうと感じる。それが間違っているとは思えない。これをムウやアフロディーテ辺りに知れれば、嫌味の一つ二つ交えて言葉を返してくるだろう。
それでもアイオリアはその考えが間違っているとは思えなかった。はこちらが警戒していることは承知のうえだろう。しかしは着飾らず、壁も作らず、思いのままに笑顔で答え返す。その素直さが少しだけうらやましかった。
コップの中から柔らかい香りを漂わせるお茶を少しだけ口にすると、アイオリアは先ほど天蠍宮へ行った折り、ミロに問われた言葉を思い出す。



「アイオリア、お前は大丈夫なのか?」

「何がとは聞かん。お前の言いたい事はわかる。しかし俺には後悔はないのだから、大丈夫も何も無いさ」

「しかしな、お前がそれでも相手がそうでないかもしれんぞ」

「もし何かを言われたとしても、受け流すぐらいの余裕はある」


天蠍宮へついて早々問われた言葉の真意など、わざわざ確かめずともアイオリアにはわかっていた。苦笑交じりに返したアイオリアへ、ミロもどこか心配しているような表情から苦笑へと変化させる。心配ではあったもののアイオリアからの返答は殆ど予想できていたのだが、尽く返された言葉が予想と同じ物である事に対してと、気にかけすぎていた己の意外と心配性な点に気付いた事に対してのものだ。
黄金聖闘士の中でも、ミロは感情の起伏が激しくアイオリアも似た気質がある。故に、気がかりだったのだろう。
しかし気にしないわけにも行かない。相手の言葉一つにいつ、眠れる獅子の怒りに触れるか判ったものでは無い。それを性格のよくわからないに諭すよりも、アイオリアへ気をつけろと注意を呼びかけた方が早いと判断したのだが、どうやらその心配は要らなかったらしい。
ミロの心配を余所に、二人はいまだに食後のお茶をのんびりと楽しんでいるほどなのだから。


「このお茶、ちょっと不思議な味がしますね」

「ああ、君はここの茶は飲んだことはなかったのだな。飲みにくいなら、ハチミツでも入れるか?」

「いえ、大丈夫ですよ。せっかくですからこの味を楽しみたいです」


天蠍宮を出る間際、投げて渡されたのは今飲んでいる茶の葉が入った箱だった。
どこまで心配しているのか。茶の効能に気を落ち着かせるなどと書かれていては、もう笑うしかない。
今度、お返しに同じ茶を渡してやろうと画策した所で笑みを零す。


「俺は、正直に言えばデスマスクが言い出さなければ、君を獅子宮に預かるつもりはなかった」

「それは災難でしたね」

「随分とあっさり返すのだな」

「そうですか?」

「気にし過ぎなのは周りばかりといった所か」


ミロが気にかけて自分を呼び出したのも気にかけすぎなのだろうが、貴鬼が獅子宮へきたのもきっとムウが何か言ったのだろう。
気を使ってくれるような相手がいる事は嬉しい事ではあるが、気にされすぎと言うのも逆に疲れるものだ。現に、当の本人達はまったく衝突どころか意見や感情の摩擦すら起きる気配が無い。
さり気無く口にした、およそ好意的とは思えない本音にすらは淡々と返すばかりなのだ。心配は無用といった所だろう。
アイオリアは今までとは少し違う、憂いを微かに滲ませた苦笑を浮かべると、コップを置きその笑みを掻き消した。


「あの日、起こった事。それから目を逸らす事も、逃げることもせん」

「私もです。お互い、自分の決めた事にまっすぐに向かっていった。後悔も何もありませんよ」



少し低めの声が静かに紡いだアイオリアの言葉に、は微かに目を伏せ笑みを口元に浮かばせた。





<<BACK /TOP/ NEXT>>