冥界の双犬はを纏い

-act 02-







ハーデス城として最後を迎えた、元は美しい城だったハインシュタイン城。崩れた城壁はハーデスの力で元の形を為していた。
死の香りの漂っていた頃など幻かのように、穏かな空気の流れる城の一角に、冥界と地上を繋ぐ穴があった。
穴といってもかつてのように大きく地の底へと続くようなものでは無く、重厚な扉を隔たりとして繋がれた空間の穴である。もちろんそこを通る事ができるのは、冥闘士やパンドラなど、ハーデスによって許された者に限られていた。扉も普通の者の目には見えない細工も施されているため、誤って生きた普通の人間が迷い込む事も無い。
地上へ出たは久しぶりの太陽と空気に思わず、使命を忘れて草原に寝転がってしまいたい気分に駆られた。だが仕事で来ているのだからと、寸でのところで踏みとどまると寄り道せずに聖域へと向かう。
しかし白羊宮の前まで来た所でとんだ足止めを食らう事になる。下から強く睨み上げられ、その視線に目を瞬かせ困った表情を浮かべるしかできない。


「やい、冥闘士が一体この聖域へ何の用だ!」

「えっと・・・親書を持って来たんですけれど・・・通してくれませんか?」

「駄目だ駄目だ! ムウ様が留守の今はこのオイラがかわりにここを護ってるんだ!」

「あ、あれ・・・あなたがこの宮の宮主では?」

「オイラはムウ様の弟子の貴鬼だ! でも、留守の間はオイラがここを護る!」


怯むこともなく、なおも鋭く睨み隙あらば攻撃に転じようとさえする迫力に成す術もなく、は困り果ててしまった。たとえ今は正式な聖闘士としての称号もなく、アッペンデックスと言われていようとも、今まで他の聖闘士たちの助力に駆け、幾多の危険に身を晒しただけのことはあり、立派な女神の元に集う闘士の一人であることにはかわりない。そんな内情こそ知らないが、頑としてここを通しはしないという意思を見せる貴鬼に、困り顔のままもう一度尋ねた。


「あの・・・どうしても通してもらえませんか?」

「駄目だったら駄目だ!」

「それでは、そのムウって方が戻られたら通してもらえます?」

「それはわからないよ。ここを通すかどうかは、ムウ様が決めるから・・・」


の問いに少し自信なさげな答えを返し、結局はいつ戻るとも知れぬ本来の白羊宮の主を待つ事にした。待つといっても、中へ通してもらえるわけでは無いため、宮の脇に座り込み久しぶりの青空を仰ぎ見る。の行動を離れた所で見張っている貴鬼は、次第にその緊張を保つのが辛くなってきたのかソワソワし始めた。貴鬼の様子を横目に見ながら声をかけるかどうか悩み顔を向ければ、気づいた貴鬼が強く睨み返す事で結局は沈黙が流れるだけで終わる。
互いに間が持たなくなってきている所に、漸くムウが戻ってきた事で張り詰めた緊張の糸も解れ、貴鬼はムウの元へと駆けていった。
貴鬼に留守を預けていた労をねぎらい、その手に持っていた袋を預け宮の中へ戻るよう言えば素直に従い宮内へと戻っていく。その折のことは確りと伝えている辺りはさすがと言えよう。


「・・・あなたは・・・」

「あ・・・・・・、あの、ハーデス様から親書を届けるようにって言われたんですけれど・・・」


門前払いされて困っていたと苦笑を浮かべれば先ほどの状況に納得がいったのか、ついて来て下さいと静かに歩き出した。
ムウは第一の宮を守護している事もあり、前もってアテナから使者を案内するよう、仰せつかっている。その際教皇からは監視の役目も担っていたが言われるまでもなく、元よりムウはそのつもりだった。
そうとは知らず、言われるままについていくは、改めて目の前に続く十二宮の階段を見つめ思わず歎息してしまう。


「もしかして黄金聖闘士の皆さんって、毎日これを上り下りしてるんですか?」

「ええ、そうですよ。ここは如何な者であろうと、その足で登るほかありませんからね」

「へぇ・・・いいなあ・・・楽しそうですね」

「・・・楽しそう?」


ムウは予想していなかった言葉に歩む足は止めず、気配だけを後ろへ向けて問い返す。の言葉はけして皮肉がこめられたものでもなく、心の底から楽しそうだと吐き出されたものであると感じた為だが、まるでムウの事など気にしていないは同じ言葉を返す。表には出さないがムウは多少困りつつ、何故そう思うのかと疑問を口にした。


「だって、こんなに景色が良いんですよ。登り甲斐もあるし、目的地まで登ったら達成感あるじゃないですか」

「・・・あなたはよく、変わっていると言われませんか?」

「言われますけれど・・・そんなに変わってます?」

「少なくとも、この階段を見て楽しそうだという感想は、初めて聞きましたね」


ムウの言葉に後ろではいまだ、こんなに楽しそうなのに。と口にしていたがそれ以上何かを返す事はしなかった。
返しても無駄だろうと判断して会話を放棄したからだが、は一切気にしていないようで上へ行くにつれて視線はそこから見える聖域の景色に、まさに釘付け状態となっている。それどころかまるで子供が目新しい物を見つけたかのような輝きすら見えるのだから、苦笑を浮かべずにはいられない。
使者としてきている事をよもや忘れてはいないだろうかと思いながらも、けして警戒を解いたわけでは無い。その穏かな雰囲気と表情の奥ではかつての聖戦や、その傷跡がまだ残る聖域を思い返す。昨日の敵は今日の味方とは言うがそう簡単に相成れる相手でもないのだから、警戒をしてしすぎる事は無いだろう。だからと言ってが、今の聖域と冥界の微妙な立場を理解していないわけではないだろうことは、使者としての立場である事から推測できる。それぐらいの常識はあってしかるべきだ。

それ以上互いの間に会話は無く、途中主の居る宮を抜け顔を見合わせるたびに一瞬ではあるが、をみて張り詰めた空気が流れる。白羊宮を出た所で小宇宙で冥界の使者を連れていくとは伝えたが、やはりすぐに慣れるわけでもない。会う度に警戒する仲間も然る事ながら、律儀に挨拶するの姿や、それに拍子抜けする仲間の姿も天蠍宮までくればムウは些か見飽きた様子をみせる。教皇の間に漸くたどり着いた頃にはムウは早々に案内と監視の役目を終えたいと、内面で疲れた様子を見せたがけしてそれも表には現さない。
そうしている間にも通された教皇の間の奥へと進み、ムウは一歩前に出て跪き、倣うようにも跪いた。
ムウへアテナが労いの言葉を向け、改めてへと穏かに言葉を紡いだ。


「あなたが冥界からの使者の方ですか」

「天速星オルトロスのと申します。この度は冥界の王ハーデス様より、地上の女神アテナへ親書を届けよと仰せつかり、はせ参じました」


道中何度も脳内で繰り返した言葉を、落ち着けと言い聞かせながら口にする。なんとかスムーズに言葉に出来たことに内心でホッと胸を撫で下ろした。
持っていた親書を両の手で持ち捧げるようにすれば、アテナの隣に黙して立っていたシオンがムウへ目配せをする。意志を汲みとり立ち上がったムウがそれを受取りシオンへと差し出した。封蝋を開け、中をあらためれば一緒に包まれていた一枚の紙片が落ちる。
差し出された親書は確かにハーデスの直筆された親書であるが、不審な紙片にシオンとムウは警戒を露わにする。しかしアテナはさしたる変化も見られず、拾い上げたシオンにそれはなにかと問うが、表も裏も白紙のただの紙でしかないと伝えた。


よ。この紙片は一体なんだ」

「あ、いえ・・・畏れながら私もよくは・・・親書を持ち聖域へ行けと言われたのみでして・・・」

「シオン、それをこちらに」

「しかしアテナ」

「よいのです」


渋るシオンから受取った紙片。それはアテナが手にとった瞬間、見る見るうちに表に文字が浮かび上がった。それに驚いたのはアテナの横にいたシオンだけであり、ムウとの位置からではその変化は見られない。
しかしアテナは紙面に走る文字を見て一瞬、驚きの表情を浮かべたが次にはクスリ、と少女のような微笑みを浮かべた。
どうやらその文字は神の小宇宙によって紙片に刻まれたもので、同様に神の小宇宙にのみ反応して浮かび上がる仕組みらしい。アテナからシオンの手に戻った時、紙面の文字は再び何事もなかったかのように消えてしまった。


、使者としてご足労頂き、ご苦労様でした。暫くの間、この聖域にて体を休めるといいでしょう」

「ありがとうございます。ですが、せっかくのお気遣いなのですが・・・」

「これは、ハーデスから私への『お願い』でもあるようですし」

「え?」


ニコニコと微笑むアテナを余所に、他の三人はそれぞれの表情を浮かべてアテナを思わず凝視してしまった。





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