冥界の双犬はを纏い

-act 01-







「聖域と海界への使者として、お主を遣わしたいと思う」

「え?」


ジュデッカの玉座に優雅に座るハーデスからかけられた言葉に、跪きながら思わず間抜けた返答と共に視線を向けてしまった。
そんなの態度を特に気にも留めていないハーデスは、その手に持つグラスをこれはまた優雅な仕草で傾ける。
二人の間には、パンドラの奏でるハープの音色だけが響いていた。

そもそも突然魔星に目覚めて、導かれるままに冥界へとやってきて。気付けば聖戦が始り、そして終った。
聖戦の折、目覚しい活躍もしていないがハーデスに呼ばれたという事事態がおかしい話しなのだが
そんなの思考など知らぬといった様子で、再びグラスを傾けその愁いを帯びたような眼差しを静かに向けるばかり。


もその聖戦で一度は命を落したはずだったが、目を醒まして辺りを見れば、聖戦の傷跡が多々残る冥界。
所々崩壊した跡が見られるほど、それはもう筆舌しがたい状況だったことはまだ記憶に新しい。





聖戦が終りを告げたのは一年も前の事。
一度は消滅したハーデスだが、神の完全なる消滅はなく、一欠けらにでも残った力から再び目醒める事となる。
不完全でありながらもそこはやはり神の力。時間をかけ徐々に安定を取り戻していった後、まず復活させたのは冥界そのもの。死を統括し、死の国の王として君臨する神であるが何よりも、冥界という存在はやはり必要であると判断しての復活だった。
聖戦後、地上に戻ったアテナは聖域の復興もあり、ハーデス自身にも戦う意志が無い事を判断しその事は黙認したのだが、互いに多くの聖闘士、冥闘士を失った事に変わりはない。

まだ原形を留めている聖域の復興は、残った聖闘士の手を使えば時間をかけて復興は可能だろう。しかし冥界はそうは行かない。たとえ形ばかりに冥界を蘇らせたとしても、細部まで機能、管理すべき人物たちがいなければ意味を為さない。
冥闘士を蘇らせる事は容易だが、自軍の力のみを復活させてはまた新たに戦いが始まるのは必至。冥界の復活の為、冥闘士を蘇らせる傍ら失われし聖域の聖闘士も蘇らせると、アテナへ一つの申し入れをしたのはハーデスからだった。
願ってもない事ではあるが、そこで浅はかに首を縦に振るアテナでは無い。この聖戦で失われた命を神の気紛れとも言うべき意思で蘇らせれば、黙っていない者もいるだろう。一番に上げられるのはポセイドンである。冥界との闘いの前に、たとえ望んでの目醒めではなかったにしろ、この時代に目醒め海闘士を失ったのも事実。聖戦の最中には多少なりとも介入する事もあったため、無関係ともいえない。聖域にとっては海界の王に借りがあるのだ。
アテナの提案に、ポセイドンは浅い眠りから覚めたと思えば、好きにすればいい、とそれ以上の返事はなかった。

なんとも微妙な均衡を保ちながらも、一先ずはそれぞれ手足となる者達を揃え、三界にて改めて取り決めをするのは落ち着いてからだと
暫くは互いに己の為すべき事に尽力をつくした。
それから半年ほど過ぎた頃、漸く落ち着きを取り戻した地上、冥界、海界において、神同士の緊張に張り詰める会議が執り行われた。
厳かにも静かに交わされる三神の意志は、互いの地への不可侵条約。定期的に使者をたてての報告の二点に纏められた。
その後、ハーデスの力によってそれぞれの闘士たちは息を吹き返すこととなる。



復活後、ジュデッカにおいてハーデスより知らされた事実に途惑う者が殆どであったが、有無を言わせぬ言葉と神の意志に、誰もが口を閉ざした。時間を置き少しずつではあるが納得していくものもいる。しかし蘇った直後では考える暇が無いほどに、冥界の状況は芳しくはなかった。
もただ混乱するばかりではあったが、周りより幾分かは納得する時間は早く、同僚になぜそんなにも理解が早いのかと訊ねられた事があったが、ただ単に難しすぎたので、生き返ってよかった。次は冥界は冥界の秩序を護る為に存在するならそれにこした事は無い、と。自分なりの解釈で早期解決したに過ぎたいのだと笑顔で答えれば、感心するよりも呆れられてしまった。それどころかその時のやり取りを上司のアイアコスに見られていたおかげで、アンティノーラへ戻った後に拳骨を食らってしまった。
余談ではあるが、ラダマンティスの次に厳しいのはアイアコスであり、三巨頭の中では一番、口より手が出るタイプである。

しかしそんなやり取りも最初だけで、召集され改めて冥界の復興作業へ入ればまさに寝る暇も無いほどの忙しさだった。なにせここは死者のたどり着く世界。アケローン河の岸辺から地獄門にかけ、亡者はひしめき合いカロンの渡し守の歌もどこか力無い。たとえ冥界が復興中といえど、亡者は待ってはくれないのだから。
次いでやはり多忙を極めたのは裁きを下すルネと上司のミーノスだろう。この時ばかりは、さすがのルネも静寂を保つ事などできず、一人の亡者を裁けば忙しなく「次の亡者を早急に呼べ!」と声を上げたほど。他にも獄の整理や送られてくる新たな亡者の管理など、管轄外の者も手当たり次第、手が空けばたらい回しされ交代の頃には疲弊しきっていた。
半年ほど経ち、漸く落ち着きを見せた頃には冥闘士達は皆、心身ともに擦り切れる寸前といった所だった。


そんな怒涛の一年が過ぎた冥界で、暇さえあれば花畑でのんびり過ごしているは今日も鼻歌交じりにアンティノーラへ出勤すれば、上司より開口一番に「ハーデス様がお呼びだ」と言われれば驚くのは当たり前のこと。三巨頭が呼ばれるならまだ分かるし、ルネやファラオのように重要な役割がある者が呼ばれるのも頷ける。しかしは一介の冥闘士で、アイアコス直属の部下と言う肩書き以外は、魔星の肩書きしかないのだ。首を傾げてもう一度、上司へ確認するが返ってきた答えは先ほどと同じだった。つべこべ言わずさっさと行ってこいと職場から蹴り出されては行かないわけにもいかず、そもそもハーデスから呼ばれているのだから逃げるわけにも行かない。
正直に言えばはジュデッカが苦手だった。あの広さがどうも落ち着かない。ジュデッカに行くくらいならばケルベロスと戯れている方がマシである。ここはさっさと行って、さっさと用件を終わらせるにこした事は無いと、は重い足取りでジュデッカへ向かい、そして冒頭のやり取りへと戻る。





「あの、ハーデス様・・・恐れながら、何故私なのでしょうか?」

、ハーデス様の取り決めに何か不服があるのか?」

「いえ、不服とかでは無く私でいいのかな、と気になっただけなんですが」

「余はお主なれば、と思って決めたのだ」

「・・・そのお役目、謹んでお受けいたします」

「フッ、ならば・・・パンドラ」


どこか呆けた様子で答えたに対してか、小さく笑みを浮かべたハーデスに言われるまま、パンドラは書状を一枚へ渡した。ハーデスが認めた親書だろうが、厳かに受取ると言ったようなことが苦手なは構わず、両手でそれっぽく受取るとしばしその親書を見つめていた。
の姿に微かに目を細めたハーデスはまだ何か気になることでもあるのか、と問いながらもその内心を見透かしたような目で見る。口元に浮かべた笑みはどこか面白い物を見つけた、といったような悪戯じみたものにすら感じる。


「あの・・・使者として任命されたって事は、これからの定期報告とかも私が行くんでしょうか?」

「不服か?」

「あ、いえ。ただ確認したかっただけでして」

「そうか。よ、その親書をすぐに聖域へ届けよ。場所はわかるな」

「はい」


他の冥闘士はその殆どは畏れと敬いと憧れ、若干の恐怖を抱きながらも跪き頭を垂れ、反論もせず「ハーデス様の命とあらば・・・」と二言目にはそれである。しかしは気になったことがあればたとえ相手が神であろうと、上司だろうと、疑問をぶつけ聞きたい事を聞く。そこに気安さや無礼と思えるような態度は見えないが、人が神へ問うにはあまりにも気軽さが感じられる。
最初でこそパンドラもそれに眉根を寄せたが、注意をしようとした言葉はハーデスによって遮られた事があり、それ以上の注意はなかった。そんな態度が見られるからといって、けして礼儀を知らない愚か者というわけでもない。時には周りから見れば必要以上の礼を持って接する事もある。
自らに仕える冥闘士の中でも異質な性格といえようを、ハーデスは面白いと思っているのは確かだった。
ハーデスがそう思っていることも、周りからも不思議で変わり者だと思っていることも、知らぬは本人ばかりである。


「さて、暫くは退屈せずにすみそうだな・・・」


用件を終え若干足早に去っていくの気配を感じながら、楽しげに口元に笑みを浮かばせ、ハープの音色に耳を傾けた。






「ケケ、。スゲェじゃねえか。ハーデス様直々に、お前に使者を任命されるとは。とんだ出世をしたもんだ」


ジュデッカを出た所でタイミングよくゼーロスが声をかけてきたが、その耳の早さには驚きもしなかった。がジュデッカへ向かったと同時にコソリと後をつけ、話しを影で聞いていたのは気配を感じて知っていたからだ。に気づかれていたのだから、ハーデスも気づいていただろう。しかし話しを聞かれたからといって問題も無い。
ゼーロスの行動は実に分かりやすく、今回もハーデスに呼ばれたの手柄を自らのものにしてやろうかと画策しての事。暢気に挨拶するへ、案の定ゼーロスはなにかと理由をつけ、その親書は自分が聖域へ届けてやろうと言ってきた。だがそれに首を横に振ると、断りの言葉を連ねる。


「お気遣いありがとうございます。でも、ハーデス様から直々に承ったお仕事ですから、最後まで確りやり遂げますよ」

「そうかい。ま、せいぜい頑張んな。ボケっとして、亡者どもの中に落すんじゃねえぞ」


ゼーロスもの返答は予測していたのだろう。退屈しのぎに軽くからかいにきただけであり、もしここでがゼーロスの申し出に頷き親書を渡していたら、それはそれで彼にとっては棚からぼた餅のようなもの。それこそ大歓迎といった所だ。しかし世の中はそう上手く行くものでもない。ゼーロスは用件は終わったとばかりにさっさと背を向け、カイーナへと戻っていった。
ゼーロスを見送ったも聖域へと向かうため冥界の出口を目指そうとしたがその前に、使者として恥ずかしくないように一度、身支度をそれなりに整えたほうがいいかとアンティノーラへと戻るが、冥衣を纏っていくのだから身支度も無いだろうと、再びアイアコスに蹴り出されてしまった。
痛む背を擦りつつ、いつか蹴り痕がくっきり残るのでは無いだろうかとが心配する辺りで、蹴られる頻度は察する事ができよう。
我上司ながら、なかなか乱暴なものだと溜息をつきながらは今度こそ真っ直ぐに、冥界の出口へと向かった。





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