名を呼べぬ君
夜の町中を黒い着物で身を包み、攘夷浪士の動きを伺っている山崎。
彼は持ち前の地味さを生かし、監察として日々情報を探っている。
しかし真選組に監察という存在があるならば、攘夷派の者の中にもまた、それを得意とするものが居る。
「山君みーっけ」
「!!」
心臓が口から飛び出るかと思うほどに驚いた。
同時に振り返ればそこに立って居たのは月を背にして屋根の上に立つの姿。
その顔は無邪気な笑顔を浮かべていた。
「駄目だよ山君。監察なのにこんな簡単に見つかったら意味無いじゃん。
ああ、でも私だったら山君が変装してようとどこに隠れていようと、絶対見つけてやるけどね!」
「・・・それは、怖いね」
その言葉があながち嘘では無いことを知っている山崎の頬に冷や汗が伝う。満面の笑みを浮かべるには殺気も何も無い。
なのになぜか、全身に纏わりつく奇妙な空気を感じる。まるで生暖かい風に身を包まれているかのような気持ち悪さ。
たまった唾をごくりと飲み込んだ。向けた視線をはずす事が出来ずにいれば、が動く。
屋根の上から降りて山崎の前に立つと一歩、二歩と近づき、微妙な間を空けて立ち止まった。
「ねえ、いい加減私のものにならない?」
「残念だけど、それは無理だよ」
俺は真選組隊士で、君は攘夷浪士じゃないか。
そう言葉を目の奥に宿し見れば、フッとの口元が深く笑みを刻む。それはまるで自嘲のようにも見えた。
初めてと対峙した日を覚えていないわけでは無い。
あの日も、今日のように夜闇に紛れて、浪士の情報を探っていた時だった。
山崎の背後に一瞬気配を感じ咄嗟に振り返れば最初に目に映ったのは、煌めく刃。
ヒュッと風を切り頬を掠めたそれが背後で民家の壁に突き刺さると、同時に懐に入りこんでくる殺気を含んだ人影。
背負った刀ではなく懐に忍ばせた短刀を引き抜くと高い音とともに刃が交わり、一瞬の静寂。
薄雲に遮られていた月が姿を見せ、辺りを照らせば互いの顔を確りと見据える。その時はどちらともなく刀を弾くとは姿を消してしまった。
しかし、また別の日に以前とは違う攘夷浪士の身辺に探りを入れていたとき、再び見える事となった。
その時の第一声が「私のものになれ」であった。忘れろと言う方が無理だろう。
色恋沙汰に疎いわけでもない山崎は、その言葉の意味はすぐに理解できたがそのときから今ままで一度も頷く事はなく
互いの立場と、もとよりそういった目線での事を見る事も無いし、見る気も無いとはっきりと言っておいた。
からかわれている。そうとしか思っていなかった山崎はしかし、がまったくもって諦める素振りすら見せない様子に少なからずその本気を知った。
それに「地味」であると言う事を活かしての監察だと言うのに、まったくそれが通用しない。どんな人込みに紛れていようと、すぐに見つけてくる。
それでもこの先何があっても、互いの関係が甘い恋人同士などに変わることは無いと確信を持っていた。
「なんで山君は頷いてくれないの?」
「君が攘夷浪士でなければもしかしたら、頷いていたかもしれないけれどね」
「それは無理。私は晋助様に命を預けているんだから。それより一回でいいから名前呼んでよ、知ってんでしょ?」
「さあね。俺は必要な情報以外は耳に入れないから」
鬼兵隊にその身を置くは、山崎と同じように密偵や情報収集に町をかけ、身を潜め時には大胆に動く。
それゆえ、同じような事をしている山崎とはどこかしらでぶつかることは多々あった。
一度、真選組など辞めて自分達のところへ来ればいいなどと言われた事もあったがそれはもちろん断った。
が高杉に命を預けていると言うならば、山崎もまた近藤の為にそのもてる能力全てを使うつもりである。
高杉の目であり耳である。真選組の目であり耳である山崎。互いが互いに譲れぬものを持っている。立場がある。
なんとも儚き想いなのか。
ジャリッとの足元で砂が鳴る。今までとは目つきが変わった。一瞬にして辺りを包むのはの殺気。
もう一度山崎は唾を飲み込むと、身を低くしどちらにも飛び退けられるよう体勢を整え相手の姿を見据える。
は腰へ手を回すと短刀二刀を引き抜き構える。
「真選組監察山崎退。我等が攘夷達成の為にここで朽ちてもらう」
「生憎とアンタらのために落せる命じゃないんでね、抵抗はさせてもらうよ」
本当は名などとうに知っている。鬼兵隊を調べればすぐにわかった。
それでも、一度でも呼んでしまえばこの殺した感情が流れてしまうかもしれない。
応えることができない想いに苦しんでいるのは、君だけじゃない。
だから、名を呼べぬ代わりにこの月夜の逢瀬にも似た刻を望む君の為に、今はこの刃を抜こう。
願わくば、この刃が君の心臓を貫かぬ事をただ祈るばかりだ。
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