洗濯日和
「こんにちはー」
気紛れに人馬宮を訪ねてきたは、宮の前で挨拶するがいつもならすぐに返って来る返事が無い事に首を傾げた。
どうやら不在らしい事は分かるが、宮の主が不在であろうと解放的な十二宮は、ある意味とても無用心である。
しかし誰も好きこのんでこんな所まで泥棒になど入りはしないだろう。そんな常識まではの思考は至らず
宮全部に扉と鍵をつければ面白いのになどと考えてみて、思わず笑ってしまった。
「ん? 何の音だろう?」
バサバサと、風に何かがはためくような音を宮の脇から拾い、気になりそちらに向かってみれば、どうやら洗濯物が干されていたらしく
ピンとはられた紐に、音の正体である白い布が数枚、風に煽られはためいている。しかしその布を見て、は何の布だろうと考えた。
シーツにしては小さい。だからと言ってタオルと考えるにはあまりにも大きい。まさに帯に短し襷に長し、である。
何の布なのか、と疑問を抱いた所で、待ち人が戻ってきた気配を感じ後ろを向けば、眩い聖衣に身を包んだアイオロスの姿がそこにあった。
「やあ! 来ていたのか。すまないな、教皇に呼ばれて上へ行っていたのだ」
「お帰りなさいアイオロスさん。急に来たのは私ですから、構いませんよ」
「すぐにお茶にしよう、中へ入ってくれ。ああ、その前にこれをとり込まなくては」
横を通り過ぎようとしたアイオロスだが、その動きに合わせて流れた白に気付き、思わず掴んでしまった。
の行動のほうが一瞬早く、一歩踏み出した所でクイと後ろへ引かれる力に足を止めて振り返れば目が合い、そのままどうしたのかと問えば
少し考えを巡らせた後に首を傾げたは掴んだソレをもう一度見て、もしかして、と言葉を漏らす。
「アイオロスさん、あそこに干してあるのって・・・」
「ああ、あれは君が今掴んでいるのと同じマントだよ。これは言わば、黄金聖闘士にとっての正装のようなものだからね」
「へえ、そうなんだ・・・冥界ではそう言うの無いんだよなぁ・・・かっこいいなぁ・・・」
「君がマントをつけたら、そのまま包まって寝てしまいそうだな!」
「確かに、ありえるかも」
掴んでいたマントを離してアイオロスの言葉に素直に同意すると、二人して笑い上げた。
しかしそこで、不意に何か違和感を感じてはピタリと笑う事をやめてアイオロスをジッと見つめる。
突然の変化にどうかしたのかと首を小さく傾げ問うアイオロスに、暫く押し黙ったまま、その違和感の正体を掴もうと必至になった。
「あ・・・翼・・・」
「翼がどうかしたか?」
「射手座の黄金聖衣って、綺麗な翼があったじゃないですか。でも、なんで今は無いんですか?」
「ああ、あれは出し入れが自由なんだ。それに、翼を出したままじゃマントはつけられないだろう?」
「え、出し入れ自由なんですか!? うはー、それは知らなかった・・・まさに聖衣の神秘!」
「ふむ、神秘か。そうかもしれんな」
長年積み重ねられた思いがその中に宿るぐらいなのだ。意志も持っている。それは確かに神秘なのかもしれない。
そういう自分も、少し前までは聖衣の中の人状態だったのだ。否定できる隙などあるわけもない。
いつまでもマントを掴んだままだった事に気付き、は慌てて手を離した。お詫びに取り込むのを手伝うと言うに、アイオロスは最初でこそ断ったが
頑として譲らないへ、苦笑を浮かばせてならば手伝ってくれると嬉しい、と見た目にそぐわない頑固さにとうとう折れてしまった。
だがその時、突然の突風が吹きせっかく干していたマントが数枚、地面に落ちてしまう。
せっかく洗ったばかりだと言うのに、もう一度洗いなおしだと少し面倒そうにもらしたアイオロスへ、ならば洗うのを手伝うとが声高に申し出た。
そのあまりの勢いに思わず目を見開き驚いてしまった。
「やっぱり手洗いなんですね」
「やはりとは?」
「だって聖域って、電気が通っているようには見えませんから。まぁ、冥界もそうですけれどね」
大き目のタライに二つの洗濯板。二人で向かい合ってガシガシとマントに着いた土や砂を洗い落す。
だが元々綺麗に洗った物が、少し地面に落ちただけである為、そこまで躍起になる事もないだろう。
それでもわざわざ互いに聖衣と冥衣を脱ぎ、腕まくりまでする気合の入れようは傍から見れば面白い事この上ない。
その調子のまま、二人で表面についた土埃を洗い落すと、物干し紐へかけていく。水気を含んだマントは少し重そうに風に煽られた。
一つを洗い終え、次を洗い始めた二人は互いに相手の姿に気付いた。
「あれ、アイオロスさん。胸元濡れちゃってますよ?」
「ん? ああ、少し勢いよく洗いすぎたか。水がはねてしまったんだな。しかしそう言う君も、顔や服についているぞ?」
「え、どこどこ?」
「あ、そのまま触ったら・・・」
「あ、あー・・・やっちゃった・・・」
「はそそっかしいな」
濡れた場所を濡れた手のまま触れてしまい、更にそれは拡がってしまった。
その様子を笑いながら見るアイオロスも、マントを洗えば洗うほどその跳ねる水が服をぬらしていく。
最後には、面倒だとばかりに上着を脱ぐと、一緒に洗ってしまえと洗剤をつけてガシガシと洗い始めてしまった。
しかしその勢いはあまりに強く、はねた水が今度はへかかる。
「ああ、すまない。かかってしまったな」
「いいえー、大丈夫ですよ。この気候ですからすぐに」
「よし。君も脱ぎなさい!」
「はい!?」
温かい日差しの中、少しだけ水がはねたぐらいならすぐに乾くだろう。そう伝えようとしたの言葉は、アイオロスから爽やかな笑みと共に発せられた
とんでもない台詞に遮られさすがのも驚き、勢いよくアイオロスの顔を見てしまった。
の様子に暫し考えたアイオロスも、自分の発言に気付きすぐに弁解する。
「ああ、大丈夫だよ。何もそのまま脱げなんていわないさ。俺の服を貸してあげるから着替えるといい」
「いや、あの、だ、大丈夫ですから!」
「洗剤のついた水だぞ? そのままにしておいたら染みになる。遠慮する事は無い」
「だから、ちょ、あのっ!」
の静止すら聞かず宮の中へ引っ込み、変えの服を持って出てくればそれを渡して入れ替わるようにを宮へ押し込んだ。
そこまでされてしまうとさすがにもそれ以上断る事も出来ず、結局着替える事になる。
幸い濡れたのは上着だけだし、天気も良いからすぐに乾くだろう。そう思い袖を通した服は、予想より大きく少しだけドキリとした。
「あの、服ありがとうございます」
「気にするな。それにしてもやはり俺のでは大きかったな」
「大丈夫ですよ・・・って、あれ? あの、アイオロスさん・・・私自分で洗いますよ?」
「いいや、俺が濡らしてしまったのだから。それにその格好では上手く洗えないだろう。は洗い終えたのを干してくれればいい」
の脱いだ服を先ほどの自分の服と同じようにガシガシと遠慮なく洗い始めたアイオロスに、申し訳なさとほんの少しの気恥ずかしさを覚え
それ以上は何も言えずただ脇にしゃがみこむと、アイオロスの洗濯をする姿をジッと見つめていた。
視線に気付いたアイオロスが振り返れば目が合い、どうかしたのかと問えば少しだけ驚いた顔をすると目を瞬かせ、微笑んだ。
「なんだか、洗濯する男の人って素敵ですね」
「ん、そうなのか? しかし俺は女性が家事をしている姿のほうが、素敵だと思うのだが」
「じゃあ、おあいこです」
「そうか。そうだな」
朗らかに笑う二人の後ろでは、洗い立てのマントがまた風に煽られ、バサリと音を立てた。
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