茶柱友達







疎らな雲が流れる晴天のおやつ時。天秤宮の生活スペースである居間において、童虎とはのんびりとお茶を啜っていた。
お茶請けの皿には饅頭が積み重ねられているが、二人で食べるには些か量が多い。
それも気にせずに、一口摘んではお茶を一口啜る。あまりの長閑さに、鶯でもさえずりそうな気配が漂う。


「お茶が美味しいね」

「そうじゃな。たまにはこうしてのんびりと過ごすのも、良いじゃろうて。聞けばお前さんは働き詰めらしいからのぅ」

「でも、適度に休みはいれてるよ。それよりも、サガさんのほうが忙しそうな・・・」

「アレはもう駄目じゃ。仕事をしていないと、どうにも落ち着かぬらしい。まだ若いと言うのに」

「・・・今度、肩叩き券でもあげようかな・・・」


どこのお父さんのお誕生日だ。
まともなツッコミ役さえいれば、確実にの言葉にはそんな台詞がぶつけられただろう。しかし哀しいかな。ここには二人しか居ない。
それどころか、は冥界でも似たような人がいたことを思い出す。ラダマンティスも、やたらと仕事に追われている姿しか浮かんでこない。
いつか過労で倒れてしまうのではなかろうか。肩叩き券などより、有休届けをそっと提出してあげた方が、よっぽど良いのでは無いだろうか。
そう心配するだが、聖闘士や冥闘士が過労で倒れたらそれこそ、どれだけ根を詰めればそうなるのだと、周囲が不思議がって仕方がないだろう。


「そういえば童虎さんは・・・」

「童虎で良いと言うたじゃろう」

「あ、そっか。ごめんね、なんか癖で」

「まあ、徐々に慣れていけば良い。それで、何を聞きたいんじゃ?」

「うん。時々聖域にいないから、童虎はお休みをよく取っているのかな、って」


は基本は敬語に「さん」付け呼びだ。相手の年は関係なく、初対面はそれが普通である。
その中、童虎だけには親しみを感じる、まるで友人のような砕けた喋り方をするのは、童虎からの申し出があったからだ。
最初こそ他の者と変わらない呼び方だったが、深い事情など知らないに童虎は少々悪戯心を働かせ
年上では無いのだから砕けた喋りで構わないと、なんとなく言ってみた結果が今の状態である。
もちろんその時のやり取りを見て一番驚いたのは、その周囲にいた仲間たちだ。鳩に豆鉄砲とはまさにその時の仲間の表情を言うのだろう。

彼等の反応にも、童虎の年の割には老齢な喋り方をする事にも首を傾げるだけだったのは、無知ゆえの純粋さ。
目の前の青年が実は二百余年の刻を生き、聖戦が始まるまでは老体だったなどとは知らないのだから仕方がない。
真実を知ったときのリアクションはどのようなものか。それを考えるだけでも面白いと思いながら、そんな感情をチラとも見せずに童虎は
淡々と先ほどのの問いへ、やる事があるから五老峰へ帰っているのだと答えた。


「畑のお手入れとか?」

「ん? まぁ、そんな所かの」


確かに自給自足の生活の五老峰では、畑はとても大切なもの。しかし春麗や紫龍は確りしている。手入れが怠る事は無い。
やる事と言えば、ただ一つ。大滝の前で瞑想するだけだ。己の精神を鍛える為、と言えば聞こえがいいがその実、大滝の前が一番落ち着く為である。
認めたくはないが、ある種の帰巣本能と言うべきか。時折、あの場で瞑想にふけなければ、どうにも調子が狂うのだ。
これでは、サガ達の事を言える立場では無いなと、童虎は思わず自嘲にも似た笑みを浮かべた。それは見た目の若さからは想像しがたいほど
老齢を感じさせる深い色が含まれていたが、それも一瞬のことではその変化にすらまったく気付かない。


「童虎って、なんか不思議だよね」

「そうか?」

「なんていうんだろう・・・合わせ鏡みたいな」

「ほう? は面白い例えをするのぅ」


一瞬の表情の変化に気付くことは無いとはいえ、その纏う雰囲気や口調。仕草に動きなど、些細な所でなんかを感じ取るらしい。
しかしそこから真実へ自らたどり着くかどうか。多分、それは無理だろうと考えながら、およそ青年らしくない穏かで軽やかな笑みを浮かべると
の湯飲みにおかわりを注いだ。
お返しにとばかりにも童虎の湯飲みへお茶を注ぐと、二人はほぼ同時に「お」と自分の湯飲みの中をみて、嬉しそうな声をあげる。


「茶柱だ」

「儂もじゃ」

「あ、お饅頭一個しか無いね」

「お主が食べると良い」

「でも、童虎が用意してくれたものなのに一人出たべるのも・・・・・・半分こしようか」

「ふむ、では、せっかくじゃからそうするかのぅ」


山と詰まれていた饅頭は、いつの間にか一個になっていた。それを仲良く二つに割って、同時に口にしながらお茶を啜る。
そんな姿を知るのは天秤宮の灯り取りの小窓にとまる鳥達だけで、そのさえずりは更に長閑さを増長させた。





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