はじめてのおつかい







聖域のあるギリシャ。潮の香りに包まれながら、穏やかに流れていく時間を、そこに住まう人達はのんびりと過ごしている。
中には観光できたのだろう。大きな荷物を抱えて坂を上りホテルへ向かう夫婦の姿や、その隣を地元の子供たちが駆け下りていく。
町に流れる時間は穏やかなものだが、それとはまったく無縁のように珍しくは悩んでいた。
その手に握られたメモには綺麗な字でいくつかの商品名が書かれている。
たまには甘いものが食べたい。上司のそんな一声が、今ここでを悩ませている原因の一つだ。
他に要因があるなら、偶然居合わせていたミーノスが、三巨頭と部下も交えての茶会など開くのも一興、などと言い出したことにある。
買出しリストにしっかり書かれた茶葉や菓子の名前を見るだけでも相当の数だろう。
ギリシャの菓子は結構甘いと話に聞く。こんなに買って大丈夫なのだろうか。
がこの場でそんな事を悩んだ所で、上司や同僚が望んだものなのだからどうしようもないのだが。
それにバレンタインあたりが甘党だという噂もある。本当のところは今度の茶会で明らかになるだろう。

「えーと、カタイフィにガラクトブレコ。あとはカリドピタに・・・これ全部砂糖シロップかかってるみたいだけど、本当に大丈夫なのかな?」

リストに書かれた菓子の名前はどれも舌の噛みそうな物ばかり。
独り言も交えながらチェックしていくは、だんだんと胃がもたれてきたような気がしてきた。
持っている菓子袋からも甘い香りがただよい、余計に精神と胃にダメージを与えている。
それぞれを人数分買うだけでも一苦労だが、まだリストの半分も埋まっていない現状が一番辛い。
いままで仕事の合間の休憩に食べる煎餅ぐらいしか買ったことが無いにしてみれば、こんなに大量の甘い菓子を買ったのは初めてだ。
冥闘士になる前でもそんな記憶は一切無い。
荷物の重みはまったく感じないが、そのかわり胃に重みを感じるのは気のせいという事にしておいた。

「お茶葉ってどこで売ってるのかな?」

「あれ・・・アンタこんな所で何してんだ?」

慣れない街中で店を探すのに苦労しているは、聞きなれた声と馴染みある小宇宙に振り返ると、意外そうな顔を浮かべた星矢が立っていた。
星矢の後ろからは瞬や氷河、紫龍があとを追うようにして現れる。
先走った星矢を追いかけてきたか、それともただ追いかけっこのような事していたのか。
先ほどの口ぶりからして、の小宇宙に気付いて走ってきたわけではないだろう。
星矢の姿を捉えた三人がの姿も確認した所で少しだけ驚いた表情を浮かべた。
が定期報告に来た折、偶然にもギリシャに来ていた四人に周囲はついでだと簡単な自己紹介も交えた顔合わせを済ませておいた。
四人、といったところに察しはつくだろうが、その時一輝だけは居なかった。
元々周囲と常に行動を共にするような者ではないため、その場で皆から間接的に説明はされている。
何かあったときでも、互いに知っていれば行動の範囲は広がるだろうとの配慮が、今ここで功を奏するとは思っても見なかったが。
余談だがその時、全員を君付けで呼び妙な顔をされてしまった。あまり呼ばれ慣れていないため、妙に違和感を感じたらしい。

「今日は定期報告の日じゃないですよね?」

瞬の疑問に苦笑しながらここに至るまでの経緯と今現在の状況を交えて、簡潔に説明した。
そのついでにいい茶葉のお店はないかとも聞いてみる。その言葉にを除いた三人の視線は星矢へと注がれた。
この中で一番ギリシャ生活が長いのは星矢である。あの魔鈴の事だ、ギリシャの町や店などの知識もしっかりと叩き込んでいるだろう。
突然の三人からの視線に一瞬たじろぎながらも、長年の付き合いからかその意図をすぐに察し、店の場所を脳裏に思い浮かべて歩き出す。
あとを追い、歩きだしたが突然荷物が手から離れていった事に落としたのかと驚き振り返ると、荷物は氷河の手にあった。
氷河にとっては身に染み付いているのだろう紳士的な行動だったのだが、そういった類に疎く、慣れてもいないは深くまで理解できていなかった。
きっと持ちにくそうなのを見かねたのだろう。その程度の考えにしかいたらず、それでも親切心からの行動には素直に礼をのべる。
持った荷物が大分かさばっている事から、すでに茶会用としては多すぎる量を購入している事は目に見えている。
漂う甘い香りに擬似的な満腹感を感じながら素朴な疑問を抱いた。

「それにしてもこの量は尋常ではないな。本当に消費できるのか?」

「私もそれは心配してるんだけど、上司命令というか、お使いというか。逆らえないんだよね〜」

「ちなみに何人ほどがそのお茶会を開く予定なの?」

「聞いたところによると十人前後とか・・・パンドラ様とかも呼ぶのかな? なんにせよこの量を見ると増える可能性は高いね」

「冥界も、意外と平和なんだな」

紫龍のつぶやきにはそれなりには、とあいまいに答えた。後ろでの会話を聞きながらも星矢は入り組んだ裏路地を進んでいく。
時折、紫龍が道を覚えているのかと聞くと、大丈夫だと最初は自信たっぷりだった。
それは次第に、記憶が正しければこっちだったはずだ。この辺りだった気がする。たしかあの角を曲がった先に。
結局覚えていないのか、だんだんと不確かな答えが返ってくるようになり、最後には忘れてしまったとはっきり言葉にした。
呆れた表情と、やはりといった気持ちが混じった様子で三人は星矢を見たがそれはいつもの事だろう。
申し訳なさそうに謝る星矢には笑顔で、時間はたっぷりあるから大丈夫だと返す。
道に迷っている間も、ギリシャ独特の建物を時折見上げたり、民家の軒先に咲く鉢植えの花などを眺めたりしていた事でギリシャの町並みを
堪能できたと言い出すぐらいだ。の前向きすぎる答えに胸をなでおろす傍ら、やっぱり変わった奴だなとも付け加える。
暢気に笑いあう二人を余所に氷河は腕を組み、壁に背を預けて思案する。

「しかし、どうしたものか」

「たしかにそうだな。いくら時間はあるといっても闇雲に探すのも問題だ」

「・・・星矢が一生懸命探してくれてたから言いづらかったけど、人に聞けば済む事じゃないかな?」

氷河と共に紫龍まで深刻そうな顔をして悩み始めた矢先、皆一斉に瞬の方へ視線を向けた。
何故それを早く言わない。そう言いたいが、理由はしっかりと告げられている。
それよりも、瞬以外、誰一人として一番早い解決方法を思い浮かべなかった辺り、妙に恥ずかしい気持ちにさせた。微妙に視線も合わせづらい。
五人の間に微妙な空気が流れるが、ちょうど近場を通った人を見つけ星矢が道を聞きに走り出した事でその空気も払拭された。

四人の協力もあり、無事に目的の茶葉も手に入った。の買い物はこれで無事達成できたことになる。
最後に買い忘れがないか見ておいたほうがいいだろうと、近くの広場でメモと品を合わせてチェックし始めた。
もしここで忘れたものがあれば後が大変だ。また買いに来なければならないかもしれない。
そうならなかったとしても、アイアコスに怒られる事は目に見えている。

「うん、全部そろってる。本当に助かったよ、ありがとう!」

「いいって、困ったときはなんとやらってやつだし」

「楽しいお茶会になるといいですね」

「ありがとう。これあげる。よかったら皆で食べてね」

買った物が入った袋を漁って中から個装された包みを取り出し星矢に渡した。
中身は茶菓子の詰め合わせだ。茶葉と一緒に先ほどこっそりと購入しておいた今日のお礼だった。
包装を開けて中を確認した所でそれぞれの反応を見せる。素直に喜ぶ星矢に、気にしなくていいのにと遠慮がちな瞬と紫龍。
氷河は袋の中をさりげなく見ながら、せっかくの好意はありがたく受け取っておくと、今まで持っていたの荷物を返した。
日暮れも近く、互いの挨拶もそこそこにしてはすぐに冥界へと戻った。
夕日に照らされた地上の明るさとは一変し、暗いアケローン河が眼前に広がる。
手荷物の多さにカロンは思わず苦い笑いをこぼし、アンタも大変だなと同情の意を含んだ視線を向けてきた。

数時間後、の心配は杞憂に終わり、あっという間にあの甘い香りを漂わせていた菓子は全て、全員の胃におさまり
今ではまったりとハーブの独特の香りを味わいながらそれぞれがお茶を飲んでいる。
大量に甘いものを摂取したが、皆胃はもたれていないのだろうかというの心配は早くも的中した。
翌日、アンティノーラに置いてある休憩用の日本茶の茶葉が、大量消費する事になった事だけ伝えておこう。
そして噂になっていたバレンタインの甘党説は、全員の食べっぷりのおかげで白黒はっきりしなかったという。

「今度は個人的にお茶会にでも誘おうかな・・・」

アイアコス専用の湯飲みに新しいお茶を注ぎながらつぶやいたの計画は、すぐに実行されたかどうかは定かではない。





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