泥酔拳







は久しぶりに貰った休暇に少し戸惑っていた。普段から趣味らしい趣味は無く、あるといえば散歩か花への水遣りぐらいだ。
おかげで地上へやってきても何をしていいのか判らず、とりあえず故郷の日本へ帰ってみたが何もやる事がない。
無趣味に近いは、部屋の模様替えなども考えて色々家具を見て回ったりもしたが、常日頃から必要最低限のもの意外
欲しがらない性質であるため、それも意味を成さない。
おかげで普段から浪費も無く、貯まっていく給料。だがそれも使い道が無ければ困るものだ。
休暇の過ごし方にこんなに頭を悩ませる事になるなど、本人ですら想像していなかっただろう。
悩んだは、結局茶葉と茶菓子やお土産を持って聖域へ向かった。
そんな事情を抱えて突然天秤宮へやってきたに最初こそ驚いた童虎だが、それもすぐに形を潜める。
友人を迎え入れる準備をしながら事の経緯を聞いた童虎からは笑いが漏れた。

「そう無理に休もうと考えずとも、おのずとやりたい事など見つかってくるものよ」

「じゃあ童虎は普段のお休みはどう過ごしてるの?」

「そうじゃな、たとえば魚釣り・・・と言ってもただ糸を垂らしただけのものじゃが。考え事をするにはちょうど良い」

それにただ黙って座っているだけでも、やり方しだいで小宇宙を高める事はできる。
付け足した言葉には素直に感心していた。まだ同じぐらいの歳だというのに、達観したような意見には言葉すらみつからない。
童虎が大滝の前に座していた経緯など詳しい事は何も知らないだが、少しの時間をも無駄にしない生き方には尊敬すらしている。
茶器を手に感心と尊敬の念を混じらせた視線を向けてくるに、童虎は笑みを深めた。

「すごいな〜、やっぱり童虎は私よりぜんぜん大人だよね」

「そのような事はないと思うぞ。も、その年頃の娘としてはなかなかに鋭い物を持っておるではないか」

「でもやっぱり童虎はすごいよ。この間だってお泊りさせてもらった時皆でお酒飲んでたし」

「あの日はカノンとサガが飲み比べを初めて大変だったのぅ」

以前定期報告にやってきたを、デスマスクが新作料理ができたから食べて行けと捕まえた事が発端だった。
せっかくだから皆でご飯を食べようと言い出したに同調するように、どうせだから皆で色々持ち寄って行こうとあっという間に巨蟹宮は人で一杯になった。
それだけでなく、誰かが持ち込んだ酒を飲み始めた事で普段なら酒気にやられることはないだろうが、空気に酔わされたのだろう。
カノンとサガが理由までは覚えていないが、またどうしようもない事から言い合いになり、ここは平和的に飲み比べで解決だと誰かが言い出した。
それからは負けず嫌いの二人だ。酒がもともと入って加減すらできていない。おかげで周囲を巻き込んでほとんどのものが酔いつぶれていた。
その中でもけろりとしている童虎に、が話をかけて初めて童虎も酒を飲んでいることに気付いた。
まるで水を飲んでいるかのように杯を傾けるものだから、てっきり水か茶でも飲んでいるのかと思っていたは驚くに決まっている。

「ねぇ、童虎は普段からお酒って飲むの?」

「シオンなどと一緒に飲むことは、まあごくたまにな。そうしょっちゅう飲んでおるわけじゃない」

「・・・お酒って、どんな味がするの?」

「やめておいた方がいいと思うが・・・気になるならほんの一口じゃが、飲んでみるか?」

ずっと気になっていた。だが今まで口にする機会も無く、誰かに相談するにもそんな相手が居ないのが現実。
そこへ童虎の言葉だ。期待に胸膨らむのは当然のこと。
今まで口にしたことのない未知なる物への期待と、不安とがない交ぜになり、若干興奮気味に頬を赤らめて強く頷く。
奥から酒の入った器を出すと、専用のコップへとほんの少し注ぐ。
先ほどまでお茶の香ばしいかおりが漂っていた室内には、酒のまとわりつく匂いが広がった。
差し出されたコップを受け取ると、思わず生唾を飲み込んだ。コップを口の近くまで運んでくれば、さらに鼻腔を刺激する酒気。
あまり無理はするなと苦笑交じりで童虎が言うが、それには無言に頷き返すしかできない。
意を決して、ほんの一舐め。一口にも満たない微量。舌についた瞬間、口内に広がった酒気と熱。
次には舌が刺激物と認識したのか、かすかな痛みが走る。舌を伝って喉を通るたった一滴という量の酒に肩を怒らせた。
コップをそっと置きすぐにお茶に手をつけるが、口内と喉に広がる未知の刺激にテーブルに突っ伏して耐える。
予想通りといえばそうだろうの反応に、やはり苦笑を浮かべたまま茶のおかわりと水を取りに一度席を立った。
自分の持っている酒はどれも強いものだ。今まで酒を口にしたことの無い者にとっては劇薬と同じだろう。
少々悪いことをしたかもしれないと思いながらも、その実少しだけ悪戯に成功したような気持ちが無いわけでもない。
こんな事を考えていると知ったらさすがのも怒るだろうか。そんな姿を想像して笑いながら部屋へ戻ろうとしたとき、何かが割れる音がした。
何事かと水を置いてすぐに部屋に戻ると、酒の入っていたコップがテーブルの下で無残にも粉々になっている。
どうやら突っ伏したが思わず手をはらってコップが落ちたのだろう。幸い怪我もないようだが、まったく動く様子のないが少しだけ心配だった。

、どうかしたか? 水を持ってきたのだが・・・」

「んー、う・・・ふふ、ふふふふ」

「もしかしてお主、あれだけで酔ったのか?」

「ふふーふー・・・ふー・・・くりゃえー!」

言いながらフラリと立ち上がり、突然こぶしを突き出してきた。
どうやら体勢からしてアイオリアの技を真似ているようだが、正直酔っていて威力など無い。
軽く受け止めると、そのまま手を下ろしてもう一度椅子に座らせた。首がフラフラと揺れている姿はどこか不気味だ。
そのまま机に突っ伏した状態になっても、まだ笑い続けているを見てどうやら笑い上戸らしいと言う事だけは判る。
たった一滴だというのにこの酔いっぷりはさすがの童虎も予想外の出来事だ。
とんだ事になったものだと思いながら、水を取りいってまた部屋に戻るとの姿が見えない。
一体どこへ行ったというのか。酒が入っている状態で先ほどの様子では、下手をすると十二宮の階段から落ちてしまうかもしれない。
慌てて探しに行く事はせず小宇宙を探ればどうやら隣室に移動しているようだった。
物はキチンと片付けてあるし、見られてまずいものは置いてはいない。しかし今は予期せぬ行動をする酔っ払いだ。
水をおいてが居る隣室へ向かえば、扉を開けた瞬間先ほどより若干威力が増した拳が目の前に迫ってくる。
とっさの事ではあったがそれも冷静に対処してしまうのは、さすが童虎といったところか。
は受け止められた拳とは逆の手を伸ばして襟元を掴んだ。
そのままのけぞるようにして童虎を投げ飛ばすが、さすがにそれでどうにかなるわけもない。
綺麗に着地してを見ると、そのまま仰向けに倒れている。どうやら投げたはいいがそのまま倒れてしまったようだ。
微動だにしないかわりに、寝息が聞こえてくる。先ほどの投げで力尽きたようだ。倒れた勢いで眠ってしまうとは、らしいと言えばいいのか。
やれやれといった様子で布団へ移動させると、ベッド脇に水差しを置いておく。
あれほどの酔い方をしていたのだから途中で起きるという事はないかもしれないが、念のためだ。
予想通り、結局天秤宮で一夜を明かしてしまったは昨日の記憶が無く、原因の判らない激しい頭痛と吐き気に襲われ起き上がれなかった。

「・・・ねぇ本当に私、何もしてない?」

「安心せい。何もしてはおらぬよ。今はゆっくり寝ておけ」

「うぅー・・・気持ち悪い・・・」

昨日起きた事を言ってしまえばは気にして謝り倒してくるだろうことは目に見えている。
童虎は酒を口にした後、フラフラしたところで突然倒れて寝てしまったということにしておいた。
記憶が全て飛んでいるにはその説明で疑問に思うことは無く、しかし他に何かしでかしていないか心配のようだが一応は解決した。
だが今度は休暇中とはいえ無断外泊してしまったと気にするを、どう落ち着かせるか。そこが肝心だ。
には酒を口にさせないよう気をつけよう。そして悪戯心を働かせた事に少しだけ反省しよう。
看病する傍ら、童虎は人知れずそう心でつぶやいた。





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