せっけんの匂い
夕方、仕事を終えて帰って来た万事屋の面々は報酬代が払えない代わりに、と渡された大量の物を机の上に置いた。
箱にして数は十箱。中を開ければそのほとんどが油や石鹸。数としてはまさに売るほどある、といったところだろう。
本当は現金での支払いが一番なのだが、これだけの石鹸と油を買うことを考えてみれば、結構助かるものだとその場では笑っていた。
「おいおい、どうすんだよこの油製品の山」
「とりあえず当面は油と石鹸は買わずにすみますね」
「でもこんなにあってもしょうがねーだろ。家は天ぷら屋でもねぇし、石鹸屋でもねぇんだよ?」
「銀さん、そんなに文句言ったら駄目ですよ。あの親父さん、すごく喜んでたじゃないですか」
貰ったものは仕方が無いし、無いお金を巻き上げるなどという事できるわけもない。
現物報酬も初めてというわけでもないのだが、銀時はほんの少しだけ不満らしい。そろそろ糖分切れもあるからだろうか。
なんとか新八がフォローするが机の上に並んでいる石鹸を積み重ねて、積み木のようにしていた神楽が
崩れた石鹸を集めながら銀時の、マイナスへ行こうとする言動と心に追い討ちをかける。
「あの親父さん、やっとお歳暮やお中元でもらいまくった石鹸と油を処分できるって、きっと心の底で喜んでたネ」
「それ結局はいらねぇもんを俺たちに報酬だとかいって押し付けただけじゃねーか!」
「まぁまぁ、それでも何も無いよりかはマシですよ。とりあえずお風呂入ってきてください」
「あ、入るならちょうどこの間石鹸が切れてたアル。これもって行くといいヨ」
神楽は言いながら、崩れた山から適当に一つ掴んで銀時へと投げる。
後ろ手でそれを見事キャッチしたところで、手の上で少しだけ弄んでみる。桃の香りと書かれたかわいらしい石鹸。
しかしギフトパック用なのか、いつも買っている安くて大き目の石鹸で目が慣れているからか。
銀時の手の中にある石鹸はやたらと小さく見える。
他の香りはないのかと聞くが神楽から間髪いれず返ってきた答えは無い、という一言。
「どうせつけるなら温泉の元とか○スクリンとかもつければいいんだよなー。全部桃の香り石鹸って・・・」
「甘い香りでいいじゃないですか」
「はのんきでいいねぇ。糖分摂取できてねぇ俺には、ただの嫌がらせ以外の何者でもねぇよ」
「はいはい、晩御飯には甘い卵焼きつけてあげますからすねないでください」
機嫌を悪くするというよりもどこか子供のようにすねた態度を取り始めた銀時へ、甘いものを出すといえば
そんなものでつられないと言いつつも、どこか機嫌よく感じるのは気のせいではないだろう。
卵焼き一つで機嫌がなおるのだから安いものだ。
こんなことを少しでも考えているなど、銀時にばれるわけにはいかない。ばれたら多分光の速さですねるだろう。
それから数日、万事屋にはほのかな桃の香りが漂っていた。
正直風呂場だけでは消費しきれず、洗面台や流し台などにも置いている。それでもすぐになくなるわけでもない。
お登勢の店にもおすそ分けをしたが、その際家賃から少し差し引けだのと言う銀時とお登勢の間で一悶着があったのはいうまでもない。
「あれ、今日は銀さんどこへ行ったんですか?」
「さっきフラリと出かけちゃった。たぶんジャンプ買いに行ったんじゃないかな?」
「ああ、そういえば来週月曜は休みでしたね。そういえば石鹸、どうです? なくなりました?」
買い物を終えて帰ってきた新八は戸棚を開けながら聞くが、からの返答を待つ事も無く目の前にはまだ山と詰まれた未開封の石鹸の箱。
これを消費するの一体どれだけかかるのか。いっそ削って水に溶かして部屋に芳香剤としておいたほうがいいんじゃないか。
効果の程はわからないが、このままだとそのうち食うに困ったとき甘い香りに誘われて誰かがかじりついてしまうかも知れない。
無いと言い切れないのが万事屋だ。神楽か、甘い香りに負けた銀時か。どちらかがやらかすのは目に見えている。
「ー、ただいまヨー」
「おかえり神楽ちゃん。定春のお散歩今日は何事も無かった?」
「問題が起きる前に私が全てをなぎ払ってなかったことにするから大丈夫アル」
「いや、そうなるまえにもっと穏便に済ませようね神楽ちゃん・・・」
「おいおいぱっつぁん、無茶言うなヨ」
「無茶苦茶なこと言ってるのは神楽ちゃんだよ!?」
「はいはい、いいから。神楽ちゃん、手を洗ってきて。今日は珍しくおやつあるんだよ」
昨日、バイト先で教えてもらった簡単なおやつの作り方を材料があった事もあり、試してみた。
おかげで神楽の普段なら止まる事を知らない毒舌も、おやつという単語に落ち着き形を潜めた。
銀時の分はしっかりと分けて茶箪笥に入れておく。そうしなければまず目の前の二人、もしくは定春辺りがペロリと平らげてしまうからだ。
そうなったとき、一番厄介なのはやはり銀時だろう。妙なところで子供っぽいのだから困ったものである。
居間におやつを乗せた皿とお茶を持っていき、三人で食べ始めたが、ふいに神楽が声を上げる。
いつも食べているときは黙々と食べるのに珍しいと思いながらどうしたのかと聞いてみると、ジッとを見つめて鼻をひくつかせた。
「やたらと桃の香りのするお団子だと思ったのに、普通のお団子だったアル。何でかと思ったら、から桃の香りがすごいするネ」
「ずっと使ってるからかな? あの石鹸、結構香り強いですよね。いやな香りじゃないんですけど」
「そうだね。確かにあれ結構匂いが残るよねー。あ、もしかしてお団子に匂いついちゃったのかな?」
「でも言うほど気にならないアル。お団子食べて初めて気になったぐらいだから大丈夫だヨ」
「それならいいけど。気になったら言ってね」
やはり料理は目で楽しみ香りで楽しみ、最後に味で楽しむもの。そこにやたらと桃の香りが絡んできては困るだろう。
作る方としてもやはりありきたりな材料でも美味しく食べてもらいたいものだ。
の心配を余所に神楽は、「はマミーみたいアル」と至極のんきに言い放つ。それには苦笑をもらすしかできなかった。
だがもし、本当に自分が母親だったらと少しだけ考えてちょっぴりホクホクとした気持ちになった。
「よぉし、今夜はお母さんが腕によりをかけて晩御飯作っちゃうぞー!」
「うわーい。やったアル! 今日は鮭茶漬け? それとも豪華にマツタケのお吸い物?」
「神楽ちゃんの幸せって、本当ささやかだよね。あれ、もしさんがお母さんなら旦那さんって・・・」
タイミングよく話題に上がったところで帰ってきた銀時に、ちょっとした悪ふざけも兼ねて「おかえりなさい、あなた」とか
どこぞの新婚家庭のような台詞を玄関先で言ってみたところ、暫し思考停止した後、おもむろに熱を測られた。
突然の台詞の理由をきちんと説明すれば返ってきたのはため息。
くだらない冗談はやめておけ、と言いながら手を洗いにいった銀時だが、今熱を測れば確実に銀時の方が高い数値をはじき出すだろう。
それを確信させるほどに、赤くなっていたのはだけの知る秘密にしておくことにした。
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