変わらぬもの
「じゃあ行ってきますね」
「おう。寄り道すんじゃねェぞ」
財布を手にしては万事屋を出た。みりんと醤油が切れてしまい、それを買いに大江戸ストアへ行く為だ。
昨日、夜中に突然振り出してきた雨は土砂降りで、朝には止んでいたが道の所々に大きな水溜りを残している。
まだ濡れている階段をすべらないようにと、足元を見ながら下りていただが、そこはだからこそと言えばいいのか。
「ギャッ!!!」
見事に足を滑らせてしまい、階段から転げ落ちてしまった。あと三段ほどで地面だったおかげか、尻餅をつく程度で済んだのが幸いである。
打ち付け痛みを訴えるお尻を擦りながら立ち上がったはふと、妙な違和感を感じた。
階段の所々にあった水溜り。足を滑らせた所ももちろん、尻餅をついた場所でさえ濡れていたはずなのに、着物はまったく濡れた様子が無い。
軽く叩けばついた土や小石がポロポロと落ちるだけで終わる。
首を傾げたは不思議な事もあるものだと歩き出そうとしたが、突然足に痛みが走る。どうやら挫いてしまったらしい。
そんな足で買物に無理していけば、後で銀時達に怒られるだろうと半ば這うように階段を上ると、先ほど出たばかりのドアを開け中へ入る。
「あー? どうした?」
「・・・足挫きました」
照れながら言うに、しょうがない奴だと言いながら手を差し伸べて助け起こすと、着物についた汚れを軽く叩き落として居間へと連れていかれる。
ソファに座りながら、救急箱を取り出そうとしている銀時を目線で追っていればは突然声を上げた。
の声に銀時は振り返りながら何だと問い掛けてくる。
「銀さん、救急箱そこじゃないですよ?」
「何言ってんだ。ずっとここだろーが」
「え? そっちの引出しじゃなかったでしたっけ?」
「あ? そこはオメー。前に出し辛いってこっちに移したじゃねーか」
「なに言ってるんですか。私そんな事言ったことないですよ」
「いーや、言った。お前が言った」
そこからは互いに言った、言ってないの水掛け論。終わる切欠は新八と神楽の「ただいま」の声だった。
居間に入って来た二人へ開口一番、二人は先ほどの口論の内容を伝えればその答えを聞き、は項垂れる。
場所を変えた覚えも、言った覚えも無いというのに三人からが場所を変えたといわれては反論のしようも無い。
「あれ? そういえばさん、今日そんな色の着物でしたっけ?」
「そういえば違うアルな。それに、仕事はどうしたネ?」
「ああ、そういやそうだ。、オメー今日は仕事だって朝早く出ただろうが」
「いや・・・今日はバイト休みなんですけど・・・あれ?」
そこで目にしたのは日めくりカレンダー。今日は定休日であるはずだった。
しかしそこに掛かっていたカレンダーの示す日付は、が今朝起きた時に見た日付とまったく違っていた。
何より目を見開いて凝視した理由は、その上にある今年を記した部分。だがの知る年号から何年も先を記している。
思わず震える指でそれを指し示し、ボソリと呟いた。
「・・・そのカレンダー、何の冗談ですか?」
「は?」
とりあえず挫いた場所を手当てした後、の話を聞いた三人は、どうやらは過去からやってきてしまったらしいことが漸く判った。
しかし判ったからといってどうにかなるわけもなく、ただソファに座りお茶をすする事しか出来ない。
普段から厄介ごとを背負い込む銀時達であるが、も負けないぐらい特殊な事が身に起こる。
おかげで、今の状況を知った所で慌てふためく事も無く、「さてどうしたものか」程度にしか考えていない。
はお茶をすすりながら、新八の煎れてくれる茶の味にかわりが無い事にある意味安心している。
その傍ら、先ほどから聞こうか聞くまいか迷っている事があるのだが、それを聞く前に銀時が漸く読み終わったのだろう。
ジャンプを脇に置くといちご牛乳を一飲みして息をつき、時計を一瞥した。
「あー、・・・そろそろ帰ってくる頃だな」
「そういえばよく小説や映画などでありますよね。過去と未来の同じ人物が会っちゃうと、大変な事が起こるとかって」
「たしか前に読んだ本では本人たち同士が消えちゃうって話だったなァ」
「前に姉御と見に行った映画では星が一つ爆発したアル」
と神楽の言葉に誰とも無く笑い出し暫しの間、居間の中は笑い声だけが響いた。
突然笑いが止まると今度は視線を泳がせながらどこか焦り気味の四人。
まさか・・・と誰かが口にすれば、ないない、と誰かが何かを否定するがそのやり取りに終わりが見えない。
「や、大丈夫だって。あいつは空気読むよ。俺らの中じゃ空気読むのが一番ウメーから」
「そうヨ。どこかの空気が読めない駄目っ八とは違うネ」
「誰が駄目っ八だ! いや、そんな事よりも・・・いつも仕事終わると真っ直ぐ帰ってくるじゃないですか、マズイですよ!」
「うん、特に用が無かったら真っ直ぐ帰・・・ 「ただいまー」 !!」
玄関から帰宅の声が聞え全員が体を強張らせた。
そこから銀時達の動きは早く、新八と神楽が玄関へ向かい言葉巧みに台所の方へと誘導していった。
今の内に何とか元の時代に戻れといってくるが、も何が原因で何故ここへ来たのかなどわからず、急に言われても困るしかない。
時間にしてほんの五分程度だが、台所から漏れ聞こえる新八達の言葉を聞けば、そのまま夕食の準備へと取り掛かろうとしているらしい。
暫くは居間のほうにはこないだろうが、出来上がるまでに何とかしないといけない。
どうしたらいいのかと頭を抱えるが、そう簡単に解決策が思い浮かぶわけも無くただ呻き声を上げる事しか出来なかった。
「銀ちゃん! 銀ちゃんの事呼んでるアル!」
「なに!? ちょ、。俺らで何とかすっから、オメーは何とかアレでアレして戻れ。いいな!?」
「アレでアレしてって何して戻ればいいんですか!? ちょ、銀さん!?」
バタバタと居間から出て行った神楽と銀時を呼び止めることも出来ず、は一人でオロオロするしか出来なかった。
時間を稼ぐといってもそうたいした事も出来ず、次第に味噌汁のいい匂いが居間の方まで漂ってくる。
三人のあらゆる言葉で巧みに居間へとこないように仕向けているが、突然電話が鳴り響いた。
はそれに過剰に反応を示してしまい、もしかしたら電話を取りに来るかもしれないと慌てふためく。
現に電話は自分が出ると言い合う三人へ、「私がでますから」と言う言葉を口にして居間へと向かってくる音が聞こえる。
とりあえず和室の方に身を隠そうかと体を反転させたは、足を挫いていた事を忘れ思い切りこけてしまった。
こけた勢いそのままに倒れそうになったは、机に更に足を引っ掛けよろめいた所にソファの背凭れの角へ額をぶつけてしまう。
体を支える事も出来ず、そのまま床に倒れてしまったが何とか手をついて立ち上がるとヨロヨロと和室に向かった。
しかし襖を開けた所での動きは完全に止まってしまう。
「・・・銀さん?」
「あ? あれ、いつのまに帰ってきてたの?」
「あれ? え? あれ・・・?」
狼狽するの様子を不思議そうに見る銀時は和室に寝転がりジャンプを読みふけっていた。確かに銀時は先ほどまで台所に居たはずである。
もしかしたらと思い、ヨロつきながら居間のカレンダーを見ればにとっての確かな「今日」の日付を示していた。
体に力が入っていたのだろう。ほぅっと息をつくと全身の力が抜けて床にへたり込むと、の事を気にかけ銀時が和室から出てきた。
神楽と新八が帰って来た声が聞こえるが、それに返す事が出来ない。
先ほどの出来事はもしかしたら夢だったのでは無いかと思うが、ぶつけた額の痛みと足に巻いた包帯などが夢で終わらせはしない。
「何で足に包帯巻いてるネ?」
「本当だ。銀さん、さんどうしたんですか?」
「いや、俺も知らねェよ。おい、どうしたんだそれ?」
「どうせ銀ちゃんが無茶させたアル」
「どういう意味だコラ! 俺はテメーは無茶してもにゃ無茶させねーぞ!」
「なに言ってるんですか。今の経済状況と生活で既に無茶のし通しなのわかってますか?
さんのバイト代で、ギリギリ何とか保っているんですからね」
銀時の問いに答える暇も無く、いつものようなやり取りが始まってしまった。
暫くの間目の前のそれを見ていたは次第に、つい先ほどまでの慌てていた三人の姿などを思い出し始め、小さく噴出してしまう。
そこからはただ、お腹を抱えて笑い転げるばかり。意味がわからない三人は互いに顔を見合わせながら首を傾げるしか出来ない。
「おいおい、何一人で大爆笑してんだ? ワライダケでも食べちゃいましたか?」
「は拾い食いはしないヨ。そんな事するのは銀ちゃんぐらいアル。
まったく、意地汚いヨ! 私、そんな子に育てた覚えは無いネ!!」
「俺がいつ拾い食いをしましたか!?」
「ちょっと神楽ちゃん。今度は何の番組に影響されたの? もう、駄目だよ何でもかんでも抜粋しちゃ」
「黙れよ駄眼鏡」
辛辣で棘のある言葉を投げかける神楽に、激しいツッコミをいれる新八。
二人の言葉に時にはツッコミ、共にボケたり乗ったりの銀時。そんな彼らのやり取りに我関せずで隋眠を貪る定春。
いつもと変わらないやり取り。いつもと変わらない万事屋。
――― 今も、幸せですか?
先ほど聞こうかどうか迷っていた言葉。まさかここでその答えを示されるとは思っていなかった。
小さくとも、少しずつでも変わっている事はあるだろう。しかし何ひとつ変わらない三人のやり取りに、変わらない事の幸せを感じた。
そんな輪の中に自分もいる事が何よりも嬉しいは、漸く落ち着き、笑って乱れた呼吸を整えると微笑んだ。
の意味ありげな微笑みに銀時が一体何だと問い掛けてくるが、内緒です、と教えなかった。
「だけなんかズルイヨ! 私には教えて欲しいネ!」
「そうだなー、どうしようかな?」
「おいおい、俺は駄目でなんで神楽には悩むの? それこそズルイだろーが」
「女同士の秘密ってやつアル! あ、新八は眼鏡だからもっと駄目ネ」
「前々から思ってたんだけど、神楽ちゃんは眼鏡になんか恨みでもあるの!?」
先ほど以上に騒がしくなった居間の隅で寝ていた定春が起きだし、寝ぼけているのか否か。銀時に噛み付くことで更に騒がしくなる。
どうかこの些細な幸せがこれからも続きますようにと、小さく零れたの言葉は誰に聞かれることもなく静かに空気に溶けていった。
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