猿飛佐助はいまだかつてないほどに狼狽していた。
真田忍隊長として名を馳せる佐助である。そんじょそこらの武人を相手に、臆することなど決して無い。
それは、言い換えれば相手によっては当然動揺するということを指す。
「正々堂々、勝負せよ。佐助」
「えーと…話がまったく見えないんですけど…」
「これは男と男の真剣勝負。今、俺はお前の主ではない。ただの一人の男だ。手加減は一切無用!」
「だから、話が…」
状況が飲み込めていない佐助に容赦なく、炎をまとった二槍がすさまじい速さで襲いかかる。佐助は咄嗟に地を蹴って大きく跳躍すると、幸村の槍が届かない高さの松の枝に着地した。
「佐助、降りて来い!!真剣勝負だと言うたであろう!!」
「どこに主と真剣勝負なんてする忍がいるんだよ!」
「忍ではない!お前を一人の男と見込んでのこと。燃え滾れ、佐助!全力だー!!」
佐助をここまで困惑させている張本人はただただ地上で声を張り上げている。
虎の若子、紅蓮の鬼、日本一の兵【つわもの】と戦場にて様々な異名を取るこの男は、真田幸村。佐助が長年仕えてきた主である。
幸村が熱く燃え滾りやすい性格であることは、彼が幼少の頃より仕えてきたため十分承知しているが、これほどまでに会話が噛み合わないのははじめてのことだった。
「旦那には戦う理由があるのかもしれないけど、俺様は旦那と戦う理由なんてまったくないよ」
「こ、この期に及んでしらばっくれる気か佐助ェ!」
「しらばっくれるってそもそも何をだよ…」
何に拘泥【こうでい】して幸村がここまで突っかかってくるのかまったくわからない。何度も何度も必死にそう告げると、ようやく幸村は大人しくなった。
「本気でわからぬのか…?」
「本気だよ。一体何があったわけ?」
佐助の言葉をようやく素直に聞き入れた幸村は攻撃の構えを解くと、まっすぐ佐助を見上げた。
長年の付き合いから、ここからはおどけることはもちろん、受け流すことも絶対に許されない話なのだと直感した。
「この二日間、お前は何をしていた?」
「…久々に非番をいただいたからゆっくりしてましたよ」
「――そうか。ならば、質問を変える。誰と会って何をしていた…?」
「…へ?」
幸村の双眸は佐助のわずかな変化すら見逃さないと言わんばかりに鋭利な強さを帯びていた。些細な偽り一つでも許さない。目で、そう言っていた。
(旦那の奴、もしかして…)
佐助はようやく思い当たる節【ふし】を見つけた。心当たりを見つけたのは前進だが、ここまで幸村が目角を立てられる覚えはない。全然ない。
「ちょーっと待って。旦那、絶対勘違いしてるから。話を聞…」
「言い訳など聞かぬ!佐助…お前、俺に隠れてとあああ逢い引きしていたのだろう!?」
「だーッ!案の定完璧に勘違いしてんじゃん!!!誤解だって、旦那」
幸村の言うことは一理ある。確かに、佐助はこの非番の間幸村と恋仲であると過ごすことが多かったのだ。しかし、それを『逢い引き』扱いされるとは事実捏造も甚だしい。
は佐助のことを兄のように慕っており、また、佐助はのことを妹のように思っている。
佐助はと色恋に転ぶことなどありえないと神仏に誓って断言できる自負がある。もきっとそう言うに違いない。特には、二年前から幸村しか眼中にないのだから。
「ちゃんと会ってたのは事実だけど、旦那が思ってるような理由じゃないって」
「では、何だというのだ…」
「それは…」
ここから先を説明するのは彼女にしっかりと口止めされているのだ。言いよどむ佐助に幸村がより疑いの色を濃くした眼差しを向ける。一触即発の幸村と対峙するのは実に居心地が悪い。
「幸村さーん!一緒におやつにしませんか?」
地獄に仏とはまさにこのこと。
山盛りの団子を乗せた大皿を抱えたがやって来たのだ。これで幸村による盛大な勘違いは解消されるだろう。佐助はにすべてを託すことにした。
しかし、佐助は知らない。
事の詳細をに説明させたことを大いに後悔する羽目になることを。
「見てください!これ、全部わたしが作ったんですよ」
大皿を幸村に差し向け、は満面の笑顔を見せた。
「これを…全部でござるか?」
「はい。こんな本格的な団子は作ったことがなくて悪戦苦闘してしまったんですけど…非番だからって佐助が手伝ってくれたんです!」
「なんと…!それはまことか?」
「はい。昨日、少しの間厨【くりや】を貸し切ってマンツーマンで指導してもらいました!あ、今日はちゃんと自分一人で作りましたよ」
「………」
佐助はやれやれと溜め息を吐き出した。これで幸村の中で誇張されていた誤解も解けただろう。
は事の説明を終えると、縁側に大皿を置いて踵を返して行ってしまった。完成した団子を早く幸村に見せようと慌てていたため、茶の用意を忘れていたらしい。
幸村は槍を木戸に立てかけると縁側に腰かけた。団子を見下ろす眼差しは至極優しい。が自分のために団子を作ってくれたことがよほどうれしいようだ。
身の安全を確信した佐助は地上に降りると幸村に近寄った。
「悪いね、旦那。ちゃんに口止めされてたんだよ。団子を作っていたことはどうしても自分の口から伝えたいって言われちゃってさ。ま、ちゃんお手製団子が食べれるんだから万々歳っしょ?」
幸村は団子からへらへらと笑う佐助に徐々に視線を移した。その視線の鋭さに佐助は気づかなかった。団子に向けていたものとはまるで別人である。
「ところで佐助」
「ん〜?」
「満痛満とはどのような意味だ?」
「満痛…?ああ、マンツーマンね。ちゃん曰く異国語で一対一って意味らしいよ」
「――そうか。一対一…ということはと厨で二人きりだったのだな?」
「まあそうなる…ん?」
幸村の返答に引っかかりを覚えた佐助は幸村のただならぬ気配をようやく察した。
「佐助」
佐助の名を呼ぶ幸村は清々しい笑顔だ。そして、その笑顔とは不相応な淡々とした口調で厳命を言い放った。
「減給」
「ウソだろォォォーッ!?」
こうして佐助は自ら敗因を作ってしまったのだった。
|